なんちゃって映画感想文 Feed

2012年8月14日 (火)

映画感想文 別離 ◆ Nader and Simin, A Separation = جدایی نادر از سیمین‎

別離 「縮図」というよく使われる言葉がある。 『現実の様相を、規模を小さくして端的に表したもの。「社会の―」』。昨年のアカデミー外国語作品賞を受 賞したこの作品は、日本人の私達が普段身近に接することのない異国、異文化、異宗教の地、イランの中流家庭で起きた事件をテーマに、現代イラン独特の背景 と、他国でも起こりうる普遍の問題を重ね合わせ、見知らぬ国の、正に縮図を見せてくれる。

物語には二組の夫婦が登場する。主役で、冒頭か ら登場するナデルとシミンは、離婚調停中の夫婦。それぞれの主張は相容れず、別居を選択することになる。認知症老人の存在とその介護を担ってきた妻の不 在。 それを埋めるためメイドとしてやってくる女性ラジエーと、後にかかわってくる夫。 この二組の交わりを縦糸にして、やがて起きる事件と、ミステリア スな背景を横糸に据え、ゆっくりと少しずつ人間模様を紡ぎ出すように進む物語はとても濃厚で、見応え十分だ

ラジエーがナデルの家にメイ ドとしてやって来て間もなく起きる出来事で、彼女の深い信仰心を見る。厳格に分けられた男女の関係。夫以外の男には触れることさえ許されないイスラムの教 えが、事件の下敷きになることを、異国の私達も強く刷り込まれる。とても上手い掴みだ。そして次に起きる事件で物語は大きく動く。ラジエーが、メイドとし ての勤めを放棄し、老人を縛って外出、更には家の金にも手を付けたとして激高するナデル。そのまま追い出されたラジエーは、翌日になって、身ごもっていた 子を流産してしまう。

ここで登場するラジエーの夫ホッジャ。元々短気な上に、長く失業しているフラストレーションも手伝って、流産の原 因を作ったのがナデルだと決めつけ、胎児の殺人者として告発してしまう。 一方、ナデルは、ラジエーに対して、父親への虐待を理由に逆告発をし、二組夫婦 の争いは出口が見えない泥仕合の様相になってくる。ラジエーは何故流産したのか?その原因は本当にナデルの所行のせいなのか? また、事の発端、誠実そう なラジエーが、認知症の老人を縛り付けて放置した理由は?これら解きの要素を含みながら、四者の心模様を巧みに描く素晴らしい脚本とリアリティ溢れる演出 に、ぐいぐい引きこまれる。

  この物語に登場する人物達には、はっきりした悪意の者は一人もいない。しかしながら、争いが生まれてしまう のは何故か?自分の信ずる価値観の中で、最も大切にすべきものを守ろうと懸命になることで陥りがちな近視眼。気づかないうちに他者とすれ違い、更には亀裂 を生み出してしまう。それが、人間としての性であるなら、私達の身の回りにいつ起きても不思議ではない。だからこそ、私達がこの人々の悩みや痛みに共感 し、争いの行方に目を離せなくなるのは必然であるのだ。

登場人物の大人達は、皆終始曇った表情をしている。僅かに笑顔を見せてくれるのは、二組夫婦の娘達だけだ。屈託無くうち解け、じゃれ合う姿には一瞬癒さ れる。しかし、そんなピュアな態度とは裏腹に、大人達の争う姿には心を痛めている。特にナデル・シミン夫婦の年頃の娘テルメーが、親の鎹(かすがい)になろうと心を砕い ている姿には打たれる。掛け違えてしまったボタンを、時間を遡り直すことは誰にも出来ない。だから再び両親がやり直すきっかけに、自分がなれればという健 気さはどうだ。主人公夫婦は、娘の願いを受け入れることが出来るのか?大人の諍いの結末は・・・。

  自分自身の心に誠実であることと、守るべきと考える価値に対して真摯であること、似ているようでありなが ら、両立するには難しいテーマ。それが出来ている人は幸福だ。主人公達の姿から、そんなことを教えられる作品でもある。そして、長く生きるほど色々なモノ や事柄を纏い、何処かで無理を抱えて 生きなくてはならないのが大人なのはよく解っていても、この作品のエンドシークエンスで、究極の難題を前に立ちすくむローティーンの娘テルメーの姿に、ドライな目で向き合えるような、ひからびた心になることだけは願い下げたいとも思うのだ。

オマケ : この映画で取り上げられている数々のテーマは、現代イランの現状を知ってから再び向き合うことで、寄り深く理解出来ます。その道しるべが公式サイトにあるので、未見の方は本編をご覧になるより先にご一読をお勧めします。映画『別離』を理解するためのワンポイント 

 

2012/5/3 シネマジャック&ベティ
2012/7/19 川崎市アートシアターアルテリオ映像館

2012年5月14日 (月)

エンディング・ノート

エンディングノート映画感想文です。川崎市麻生区にある公営のミニシアター「アルテリオ映像館」というところに、最近よく行きます。シネコンなどでは掛かりそうもない地味な良作を取り上げてくれるので、自分の趣味とマッチするからです。そこで、とても心に残る一本に出逢えました。若い女性監督が撮ったドキュメンタリーです。


静かな話題作を見てきた。実在した砂田知昭さんという方が、定年退職後間もなく癌を患い、亡くなるまでのご自身に残された時間をどう過ごし、遺族や 知人友人に対して何を残し、託していったかと言う過程を映像としてまとめた珍しい作品だ。そして、それを撮影し仕上げたのは、実の娘であり、本作監督の砂田麻美さんだ。

 結論から言えば、とても暖かい気持ちになれる素敵な作品だった。現代日本人の平均からいえばかなり若い部類に入る67歳での死、ご本人が思い描いていたであろう定年後の第二の人生を、ほとんど楽しむことなく不治を宣告されるとは、さぞや無念であろうことは想像に難くないが、 映像に残る砂田さんの姿はそのような悲壮感は微塵もない。とても冷静で知的、そして常にユーモアを忘れないおちゃめなお父さんだ。

劇中のナレーションは、娘である砂田監督自身が亡き父知昭さんに代わって語るという形式をとっている。 ビデオ映像に残るご本人が語る言葉と、心中を語る娘の声が良い具合にバランスされているのだが、どちらにも常に独特のユーモアがあり、弱っていく外見とは相容れないギャップが、悲壮感を遠ざけているのだ。

慶応大学経済学部卒、東京丸の内に本社を構える化学企業を支え、重役にまで上り詰めたモーレツサラリーマンだった砂田さん。 ポスターの写真は、まだ現役会社役員で、バリバリの時期のものだ。恰幅が良くて明朗快活、仕事への自信に満ち溢れている姿は、戦後日本の高度成長を駆け抜 けた働きマンの姿そのものだ。多分この頃の砂田さんの日常は、ご自身の仕事が何よりも優先、営業畑一筋のキャリアに強烈な自負を持ち、会社への貢献度と自身の存在意義がパラレルという、「プロジェクトX・地上の星」な男だったんだろう。 病気療養中の医師との会話や、葬儀を託したい神父との会話にも頻繁に 登場する「私事(わたくしごと)で恐縮ですが」という言葉、会社人は自分の主義主張や欲求、ましてや家族のことなどは二の次三の次が当然。全身全霊を会社 と仕事に捧げて突っ走ってきたに違いない。 だが、それはややもすると家庭・家族を顧みない、家では影の薄い典型的昭和のお父さん像だったかも知れない。

 そんな働きマンが仕事をリタイアし、家庭人として歩み出した新たな人生は、当初実はぎこちないものだったらしい。しかし、幾つかの山 や谷を超えて穏やかに進み出した日々に突然降る癌宣告。そして図らずもここから始まった終活、砂田さんが最後に自身に課したTodoリストは、ご本人の言 葉を借りれば「段取りの命」の通り、水をも漏らさぬ人生の最後を締めくくるにふさわしいものだ。しかしその内容は、かつてすべてを捧げた会社とのかかわりや、自身の業績について総括しようというものではなく、もしかしたら、長い間ないがしろにしてきたかもしれない、家族との時間を主にしたものであり、過去 の価値観とは違う終末を望む内容だった。

病状が悪化し、間もなく死期が迫ろうという頃、砂田さんは最愛の孫にお別れを言う。そして病床で妻 に最後の感謝の言葉を伝える。この時代を駆け抜けた多くの夫婦がそうだったように、仕事命亭主と、家に残された妻。価値観のすれ違いを抱えて連れ添い続け た夫婦のもつれが一気に解ける。 この瞬間に溢れる出る言葉と涙は何より美しかった。そして、実の娘とはいえ、夫婦以外が立ち会うことなどあり得ない尊い 場面を作品に収めた麻美監督に拍手を贈りたい 。

笑いと涙をごちゃ混ぜにして物語は終わりに近づく。生前の希望通りに葬儀が営まれ、砂田さんの残したエンディングノートが披露される。いつか必ず訪れる家族や友人との別れ、送る側も送られる側も避けられないことであるなら、この先輩が残してく れた素敵なメッセージから教わることは多そうだ。

実の父というスーパースターをモチーフに、素晴らしい作品を撮り、編集もこなした砂田麻美監督。手持ちのハンディビデオカメラ映像がほとんどを占めるドキュメンタリータッチだが、ひとつの完成されたエンターテインメント映画作品にまで昇華させた手腕は見事。プロの演技者を使って撮る次回作に真価が問われるだろう。大いに期待したい。

オマケ=少し前The Bucket Listという米国作品がありました。同じようなテーマを扱ったものですが、どちらに共感するか比べて見るのも一興かもしれませんね。

2012年3月23日 (金)

人生はビギナーズ ◆ Beginners

Biginners久しぶりに映画の感想文など。地味ながらとても暖かい作風の佳作です。父親役のクリストファー・プラマーがアカデミー助演男優賞を獲得した作品ですね。古典的名作「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐役で有名です。


鑑賞した映画作品を好きになるかどうかという基準はどうやって決まるのだろう。劇場のシートに座りながらぐいぐい引き込まれるようなものは当然とす れば、あとで反芻し、自分の価値判断や趣味に照らして、作品の出来映え評価や好みとのマッチングなどをしながら、心の中のライブラリーのどこにしまうかを 考えるという手順を経るのものもあるかもしれない。 映画を沢山見ている方には、良い作品だと思うけどキライとか、逆に駄作だけどスキというひねられた感 情が交ざることもあるが、大概は「楽しめた」イコール「スキ」という評価が下されることが多いのではないだろうか。

マルチなクリエーター、マイク・ミルズ監 督が、自身と父との体験を基に映画化したという私小説的なこの作品を、私はとても気に入っている。かなり好きな・と表しても良いかもしれない。しかし、そ れはストーリーの進行と共に沸き上がってきた気持ちというより、見終えた後に少し時間をおいてから気づくという感じ、ほのかなユーモアが漂い、全体にとて も柔らかく作られ、暖かみに満ちあふれた作風は、じわじわっと心に浸みてくるサプリメントのような印象だった。

 主人公のオリヴァー(ユア ン・マクレガー)は母の死後、高齢の父ハル(クリストファー・プラマー)から自分がゲイであることを告げられる。過去に結婚に失敗し、内向きな性格も手 伝って、暗めの人生を送っていたオリヴァーにとっては晴天の霹靂だが、そんな息子のとまどいをよそに、既に病に犯され、余命が短いことを知りながら、残っ た人生を謳歌していく父親。母親の生前抱いていた頃の印象とはまったく違う人生に踏み出す父の姿に影響を受け、自分の殻を破ろうと踏み出す彼に、厳しくも 訪れた父との別れ、再び落ち込みがちな彼の前に現れたのは、風変わりな美女アナ(メラニー・ロラン)、一種似た者同士の二人はすぐに距離を縮める が・・・。

何と言っても、主な登場人物三人の演技者プラス犬のアーサーが素晴らしい。 クリストファー・プラマーは、自身の余命を知りながら、新しい生き方に突き進むチャーミングな老人を見事に演じ、ユアン・マクレガーは、人生に悩みなが ら、父の最期を共に歩み、死後再び心を閉ざす息子を好演し、メラニー・ロランが演じる、そんな悩める恋人に寄り添う不思議な魅力を持つ女性像はとてもエキゾチックで魅力的だ。 そして、オリヴァーが引き取った父の飼い犬、愛くるしいテリアのアーサーが時折投げかけてくる(人の言葉で!)シニカルなフレーズのセンスは抜群!

 作 品全体は短めカットにより組み立てられ、時系列を行き来し、まるで主人公の記憶の断片を見ているような作りだ。現在進行中のアナとの関係、そこには息子に 対して送られるアドバイスのように、父の生前の記憶が挟まる。やがて、父の死期が迫るのと対照的に、息子には喪失感から解放され、新たな一歩を踏み出す時 がやってくるという、それは緻密に計算された見事な構成でありながら、プライベートビデオを見るような感覚にも近く、登場人物と私達観客の距離は、知らず のうちに無くなり、彼の友人の一人のような目線になっていることに気づく。

 生きることは常に未知のテーマに向き合うこと、たまにはその前 で途方に暮れたり、考え込んでしまうこともあるのが人間だとしたら、この物語から最後にプレゼントされるワンフレーズを思い出して見るのも悪くない。きっ とそんなとき、人生の初心者へちょっとの手助けをくれたり、背中を押してくれる人は誰の周りにも必ずいるはずだから。

2012/2/9 チネチッタ川崎にて

2012年1月 9日 (月)

輝け!2011年My鑑賞映画作品最優秀賞発表。

おはようございます。手焼きせんべい風林堂 酒井浩です。
今日は元日以来初めてのお休みを頂きました。年末から緊張が続いていたので、少しだけのんびりした気分に浸っています。

お休みの話題らしく、私が昨年劇場鑑賞した映画作品の中で、最も心に残った作品を発表したいと思います。
一年のまとめを発表するのは、年末と相場が決まっていますが、仕事柄年末はこのようなことをしている余裕がないので、今頃になってしまいました。

特に厳格な選考基準などは全く無く、単なる趣味の反映ですから、権威などございませんので、選考結果についてのご意見・ご批判等は受け付けておりません、悪しからずご了承ください(笑)


Mrnobody● 金賞  ミスター・ノーバディ =生涯を通じて名作として推薦できそうなので=

● エンタメ賞  ミケランジェロの暗号 =洗練された作風が見事でした=

● 問題提起賞  100000年後の安全 =3.11の後、核を正面から扱った作品=

● 邦画賞  あぜ道のダンディ =等身大日本人家族の姿に共感=

● アクション賞  地球侵略ロサンゼルス決戦 =いろいろな意味でリアルさがスゴイ=

以上でございます。この他推薦したい良作は何点かありましたが、きりがないのでこれだけにいたします。

以下は、2011年私が劇場鑑賞した作品の一覧です。何の脈絡もなく、そのとき面白そうと思ったものを時間の許す範囲で見ていますから、上の各賞基準がいい加減なのがバレバレですね。


マネーボール アメリカ
カウボーイ&エイリアン アメリカ
キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー アメリカ
地球侵略ロサンゼルス決戦 アメリカ
ミケランジェロの暗号 オーストリア
ピラニア3D アメリカ
あぜ道のダンディ 日本
大鹿村騒動記 日本
ツリー・オブ・ライフ アメリカ
麗しのサブリナ アメリカ
マイティ・ソー アメリカ
ブラック・スワン アメリカ
アンノウン アメリカ
英国王のスピーチ イギリス・オーストラリア
トゥルー・グリッド アメリカ
冷たい熱帯魚 日本
完全なる報復 アメリカ
127時間 アメリカ
CHLOE/クロエ フランス・アメリカ・カナダ
4デイズ アメリカ
MAD探偵7人の容疑者 香港
100000年後の安全 デンマーク・フィンランド・スウェーデン・イタリア
スーパー! アメリカ
ミッション8ミニッツ アメリカ
しあわせの雨傘 フランス
ソーシャル・ネットワーク アメリカ
再会の食卓 中国
ヒア アフター アメリカ
ブルーバレンタイン アメリカ
ミスター・ノーバディ イギリス・ドイツ・ベルギー・カナダ
マイ・バック・ページ 日本
SUPER8/スーパーエイト アメリカ
ゴーストライター フランス・ドイツ・イギリス
私を離さないで アメリカ
ありあまるごちそう オーストリア

オマケ 是非見たいと思っていながらタイミングを逸して未見の作品が以下です。近いうちDVD等で是非と思っています。

トスカーナの贋作 シリアスマン 神々と男たち ヤバい経済学 アリス・クリードの失踪 BIUTIFUL ビューティフル ムカデ人間 黄色い星の子供たち エッセンシャル・キリング 未来を生きる君たちへ  ハラがコレなので 
・・等々です。スクリーンで見られる機会を逸したのが返す返すも残念!

週に一本、年間40作品超を目指していますが、なかなか達成できません。劇場で鑑賞するのを念頭に作られた作品は、その醍醐味を味わうのにやはりスクリー ンで見るべきというのがポリシーですし、無料や安価で見るとイマイチ集中できないという貧乏癖も手伝って、劇場通いはしばらく続きそうです。

今年も良い作品を数多く観られたらと願う年始のひとときでございます。

2011年10月 1日 (土)

映画感想文 「ミケランジェロの暗号」

Michelangelo 第二次大戦中、ホロコースト下のナチスをモチーフにした映画というと、高圧で残虐なナチスドイツに対して、謂われ無き理不尽な犠牲者であるところの ユダヤ人というのがテーマとして多くが作られているのは周知の通りだが、本作はそんな刷り込みを覆される作品だ。スリリングでウィットに富み、時に笑いさ えも誘う、上質の痛快エンタテインメントだった。

第二次大戦下のオーストリア・ウィーンで画商を営む裕福なユダヤ人カウフマン家。そこの跡 取り息ヴィクトルと、カウフマン家に長く使えた使用人スメカルの息子ルディ、幼なじみで親友だったこの二人が、戦争とナチスのユダヤ迫害を背景に、それぞ れの立場が変わってくることが話の幹になっている。

カウフマン家には国宝級の価値を持つであろう、ミケランジェロの素描画が所蔵されて いた。気心の知れたルディに、酔った勢いも手伝ってそのありかを教えてしまうヴィクトル。その直後、ルディはあろうことかナチの親衛隊に入隊してしまうの だ。そして自分の手柄にするため、噂を聞きつけたSSを通じて、ヒトラーに献上しようと画策し上官に通報してしまう。絵は没収され、哀れカウフマン家はち りぢりになって収容所送りに。しかし、同盟国イタリアの独裁者ムッソリーニ来独に際し、貢ぎ品にされるはずの名画は、実はヴィクトルの父ジェイコブが密か に贋作とすり替えていたのだ。面子をつぶされたSSは、怒り狂いルディに本物の奪取を命じ、絵のありかを聞き出すためヴィクトルは収容所から出される。そ してここから二転三転のドラマが展開し、俄然面白くなってくる。名画のありかを知っているのは収容所で死んだ父のみ。しかしヴィクトルは父の残した謎の遺 言を頼りに、絵のありかを探りつつ、起死回生を企てる。その後、絵を入手するためと称してチューリッヒに向かう二人が乗った輸送機はパルチザンによって撃 墜されてしまい、どうにか助かった二人だが、ここでヴィクトルは機転を働かせ、ルディから制服を騙し取り、自分がSS隊員に成りすまし入れ変わってしまう のだ。俺が本物の伍長だと騒ぐルディだが後の祭り、さあ絵と二人の行方は?。

幼なじみで家族のように付き合い、共に若き日をすごした青年二 人が、その立場の差を超えて親友であったと思っていたのは、実は幻想だったいう冷たい現実。少なくともルディの心には二人の間に厳然とあった、彼にしか見 えない溝があったのだろう。それがナチの台頭により立場が逆転する。SSの制服という「虎の衣」を纏ったことで、ずっと隠してきた、あるいはコンプレック スともいえる感情を解き放つチャンスを得るわけだ。ルディの野望ともいえるこの考えが、このおもしろ悲しい物語の発端だ。

冒頭、ヴィクトル の画廊にルディが久しぶりに戻り再会を喜ぶ二人、そこに悪ガキどもが現れガラスにユダヤを表す六芒星をいたずら書きする。怒った二人とガキどもは喧嘩にな り、二人は留置されてしまう。父ジェイコブの力で間もなく自由になる二人、カウフマン家の力を表すエピソードではあるが、ナチ化したウィーンの状況を説明 するシークエンスとしてはどうなの?とちょっとした違和感を感じていた。しかし後で思い返すと、ここが物語全体に共通する、人が下す他者への価値判断の硬 直を暗示する導入としているのではという気がしてきた。マークを付けることで、その人物をグループ分けしようとする。衣服が変わるだけで、どのような地位 や組織に属するか第三者には見分けが付かなくなる。本人が語る言葉より状況証拠が優先される。つまり、個人のアイデンティティへの評価や判断などは、その 人が身につけているものや、それまでに抱いていた先入観、他者の評価などによって左右されて形づくられ、ほとんどの人の目には公正な判断など付くはずも無 いものなのに、自分の意思や正しい基準として無意識に行ってしまう。うまいたとえが見つからないが「裸の王様」「馬子にも衣装」でどうだろう?人の目のい い加減さ、愚かさへの警告としても興味深い。

それを逆手に取った行動で窮地を逆転していくヴィクトルなのだが、ストーリーの鍵になる400年の歴史を経たミケランジェロの名画とて同じで、専門の鑑定家以外はだれもその真偽が解らないから、贋作を本物と信じて、こわもてSSの幹部がさかんに有り難がって見せるのも滑稽であり、作り手のナイスセンスと思う。

 二 転三転四転五転、はらはらさせられるシーンは途切れることなく、最後までスクリーンに釘付けされ退屈とは無縁。サスペンスとしても一流と思うし、時折入っ てくるコミカルな演出もナチものとしては異色。人物の描写も細かい部分でウィットに富む、エンディングの余韻も超上質、満足度高いエンタティンメント作品 として高得点を差し上げたい。以前見た、似たようなテイストの作品があったなぁと記憶を辿ってみたら、同じ第二次大戦中のドイツをテーマにした「ヒトラー の贋札」があった。なるほど、どちらもナチス=残虐非道というイメージとは一線を画すと言う点で近いと思っていたら、同じ製作スタッフとのこと。大いに納 得。唯一惜しまれるのが邦題、ご覧になってその「どうなの?」感を実感していただきたいが 作品のクオリティとしては現時点で下半期マイベスト3には入れ たい良作だ。

2011年9月14日 (水)

映画感想文 「あぜ道のダンディ」

おはようございます。手焼きせんべい風林堂 酒井浩です。 9月も半ばを過ぎたのにまだ真夏日が続く相模原です。先が見えているとはいえ、ちょっとうんざり気味ですね。

久しく更新していなかった映画の感想文を載せてみます。2週間ほど前に見た、中年オヤジが主役のいい話です。


あぜ道のダンディ自分と同じ年頃のおっさんを、20代後半の映画監督がどのように描くのか、興味を持って望んだ。 前作では、その独特の世界で私達を魅了してくれた新鋭監督が新たに届けてくれたのは、年頃の子供を持つ中年「男やもめ」の奮闘と、家族のつながりをテーマにし た心暖まる作品だった。

北関東の小都市に住む、主人公「宮田淳一」は、若くして妻を亡くし、男手一つで子供を育てて来た。浪人中の長男 と、高三の長女は、共に間もなく大学受験を控えている。特技も学歴もない宮田は、トラック運転手として地味な会社勤めをしている。さしたる趣味もなく、ス トレスのはけ口は中学生からの友「真田」と汲み交わす日々の酒。 が、ある時から自分はガンで余命いくばくもないと思い悩みだす。自分に残された時間の中 で子供達との想い出を作りたいと願い、真田に病のことを告げ、後のことを託そうとするのだが・・・。

出だしの描写はとても痛い。母親のいない家庭 は、こうもぎくしゃくするのか?すべてに不器用な宮田が、本来なら最も安らげる筈の場所である家庭で、子供との距離感を計りかね、最低限の会話さえできな い。子供達は父と目線さえ交わさない。思春期の子供がいる家庭には共通の現象かもしれないが、間に入ってクッションの役割を担ってくれるはずの母親が不在であることがこんなにも重苦しい空気を生むのかと再確認。石井監督、平成日本の父親像を非常によく理解しているぞと期待が高まる。

宮田は、通勤の自分自身に鞭を入れ自転車を走らせる。妻が先立ち寂しいはずなのにそんな素振りは見せない。子供二人を私大に生かせる金などないのに、心配するなと強がる。唯一弱みを見せられる旧友真田の 「奥さん死んで大変だよな?な?」という問いに「五十男が大変なのは当たり前だ」とうそぶく。これが彼の貫こうとする父親像なのだ。男は弱音をはかない、 男は見栄を張る、男は陰ながら思いやる・・・のである。が、自分不治の病に冒されたと思いこんだ宮田が望んだのは、子供達と共有できる楽しい思いで作りだっ た。息子と同じ携帯ゲーム機を買い、娘とプリクラ写真を撮りに行きたい・・・。 突然子供に歩み寄ろうとした父親は、案の定思いっきり外してしま う。

こういう父の姿を目の当たりにすることで、もう一方の当事者子供達はと言うと、これが相変わらず素っ気ない。もう少しオヤジの気持ちを 解ってやれよと説教のひとつもくれてやりたくなった頃、いつしか、初めの冷淡な態度から抱く、食えない若者達という印象が次第に変化してくる。それは息子 「俊也」が真田に語る言葉で遂にはっきりするのだが「わかっています!なめないでもらっていいですか!?」 兄は妹の進路を案じ陰ながら面倒をみていた。 それどころか父の稼ぎを解っていて、自分たちの東京での暮らしのため生活費を貯めていた。不器用でかっこわるいが、懸命に生きる父親を本当は愛していて、 それを旨く伝えられない自分たちにももどかしさを持っていたのだ。

こうして、ほぐれだした親子の心のもつれは、少しだけぎくしゃくした感じ を残したまま、子供達は旅立ちの時を迎える。 父はダンディズムという鎧から、少しだけこぼれ出た弱さを見せ、子供達はその弱さから見えてきた父の本心を知ることで、立ち止まったまま詰められずにいたお互いの距離が近づ いたことを知る。このように全編に流れる、気づかないうちにずれてしまっていた親子の思い、どこの家庭にも起こりうるすれ違いの風景は、子を持つ親になら 強い共感を持って受け入れられることだろう。

石井作品に共通のエッセンスは、その鋭い観察眼によって描かれる、普通に生真面目な日本人が醸すそこはかとないおかしさだ。本人が一生懸命なのに、時として他者の目にはそれが滑稽に写ることをよく解っていて、それを笑いにつなげていく。大爆笑に包 まれるというより、場内にはいつも「クスリ」という笑いが漏れる。しか し、その笑いの質は、嘲笑ではなく共感から来る苦笑であり、暖かさを孕んでいるところに作り手の愛情を感じるのだ。

加えて今作は、家族との繋がりや男の生き方という、ややもすると随所に感涙をさそう作品になりがちのところ、独特の寸止め演出にまんまとはまって、ぐっと来る直前に何度も止められる。そうしておいて、最後の最後にほろりとさせられるから客はたまらない。
スクリーンでいつも主役を張る大物俳優ではないキャスティングも作品のテーマにベストマッチ、格好悪くても一生懸命に生きる男達への応援歌のようだ。地上の星々には、明るく輝く一等星もあれば、気をつけて見なければ存在さえ気づかない5等星もあるだろう。 でも、それだって自分なりの場所で一生懸命光ろうと努力しているんだ なぁ~なんて、あの男を泣かす名番組のナレーションを担当した「真田」の声を聞きながら、最後に思ったりしたのだ。

川崎市アートシアター アルテリオ映像館

2010年5月16日 (日)

オーケストラ!

 おはようございます。ご無沙汰していた映画の感想文を、久々にアップしてみます。 今年になって鑑賞した13作品中、4月末現在マイNo1です。

Orchestra!   旧ソ連時代に天才指揮者と謳われながら、国の指導者による偏見からその地位を追われ、劇場の清掃員をしている熟年男。偶然手にした一枚のFAXから 奇想天外な計画を思いつき、花のパリ、シャトレ劇場で復活コンサートを画策するというあらすじのフランス映画です。

 ●公式サイト

   冒頭、モーツァルトのコンチェルトを指揮する男、携帯電話の呼び出し音で中断されるところから、物語の発端となるエピソードの短いシークエンス、帰宅し た後に妻と交わすやり取りで、彼の境遇が簡潔に説明されます。旧ソ連時代の手厚い芸術家保護と、そこからはじき出され恩恵を得られなくなった者の対比が物語の根底に流れています。 当時の権力者ブレジネフが、ユダヤ人を嫌っていたことが広く知られているわけでは無いと思いますが、事実を背景に沢山の要素が詰め込まれたストーリーはテン ポがよく上質です。

  前半は、主人公で元指揮者のアンドレイが、自分の企てた計画を実行に移すため、同じ境遇で長い時間冷遇さ れたままの仲間を集めるドタバタが楽しい。 バイタリティーに溢れ、アンドレイを支えながら計画を後押しする妻。 元楽団員やその周辺の人物像も、しがない運転手や、およそ元音楽家とは思えぬ破天荒な暮らしぶりの者、いかがわしい仕事などに就く者など個性溢れるもので、大いに笑わされます。 特にアンドレイ がパリとの交渉役に選んだ仇敵イヴァン・ガヴリーロフ、旧いソ連時代の典型とも思える人物像ながら、愛すべきキャラクターとして描かれていて、旧体制への風刺スパイスを効かせた作り手の大人目線が粋で、サイドストーリーとしても作品に膨らみを持たせています。

  どうにかパリにたどり着いた面々、芸術家としての誇りは既に過去、公演そっちのけで「裏ビジネス」に精出す者、花の都で遊びほうける者、衣装や楽器集めも ままならず、ソリストを交えた演奏会前日のゲネプロに、メンバーが誰も現れない。 一体どうなってしまうのか・・ 。 が、その体たらくに呆れるソリストに対し、アンドレイが語る苦し紛れの言い訳が奮っています。 彼の言葉が作品全体に漂う「ゆるさ」を凝縮しているのかもしれません。

  指揮者が、パリ公演の演目として選んだのは、チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルト。この選曲へのただならぬ執念は、物語後半の重要な要素になります。そして、そのソリストとして白羽の矢を立てたアンヌ=マリー・ジャケ、若き美貌の人気ヴァイオリニストと、オーケストラの関係を紐解いてゆく流れは、前半のコ メディータッチと打って変わり、シリアスでスリリング、見応え抜群です。

  クライマックスは、演奏会のステージ。 曲の構成そのままに、オーケストラメンバー共有の記憶を辿ってゆく映像は感動に満ちています。演奏するアンヌ=マリーと、目線を交わらせながらタクトを振るアンドレイ。 「チャイコン」の主題を奏でるオーケストラによるダイナミックな展開部に乗せた映像で、それは頂点に達し感涙を呼びます。 そして、作品中では短くまとめられた3楽章のエンディングとともにストーリーも終わります。 スタンディングオベーションを送り花束を投げるパリの聴衆と共に、スクリーンに向かい拍手を送りたくなりました。 落ちぶれた元指揮者が、マエストロに返り咲いた一瞬です。

  プロコフィエフ はどうした・・! コンチェルトがメインプログラムじゃ短いだろ? コントラバスとパーカッションは見つかったのか? 初演目ソリストが、一度のリハーサ ルも無しで公演か? ガス王は誰が縛った? ハテナや突っ込みどころがいくつもありますが、それら適当さをも含めて心から楽しめるエンターティンメント作品 として最上級と思います。  音楽を愛するすべての方にオススメしたい作品です。 現在拡大公開中!!

 立川CINEMATWOにて

2010年2月26日 (金)

フローズン・リバー

Frozenriver  各国の映画祭で高い評価を受けていながら、日本の配給会社が及び腰で、未公開の危機に瀕していたという作品だそうです。 よい作品イコール高興行成績に結び つかないところが、映画産業永遠のジレンマだと思いますが、劇場や配給会社には是非頑張っていただき、地味でも味わい深い作品を多く紹介してもらいたいと願 います。

 セントローレンス川に面し、カナダとの国境を接する米国最北端の小さな町。そこに住む男の子二人の母親。非正規労働者として僅かの時給で働きながら、新しい家を買うことを夢見ているが、夫にその大切な金を持ち逃げされる。その悲しみの底から、ストーリーは出発します。 もう一人、先住民保留地に暮らす、「モホーク族」未亡人の女、若くして夫に先立たれ、経済力の無い彼女は、1才の息子を夫の舅に奪われている。 この二人が主役です。 

  成り行きで、関わりを持つことになる二人ですが、それぞれの心に巣くういらだちや、人間不信、根深い人種偏見などから当初は反目しあっています。 その関わりとは、 凍った河を秘密裏に渡り、カナダからアメリカへの不法入国者を運ぶことでした。 資本主義社会底辺に生きる女が、必然のように犯罪者に身を落として行きます。しかし、その姿を見て嫌悪感を覚えるものはいないのではないでしょうか。それは、女が母として生き抜くための術をぎりぎりの状況で選択することへの共感からだろうと思います。

  その日の昼食代を、手持ちの小銭を何とか集めて手渡す母親と、受け取る息子のやり取り。無邪気な5才の次男と、半分大人になりかけて、あぶないアルバイトに手を染める15才の長男。職場で冷遇され、苦悩する母の姿を見つめる二人の目が対照的で、アメリカ社会の負の現実がリアルに伝わってきます。 そして、化粧っ化のない、生活に疲れたシワの多い顔のアップや、けっして美しいとは言えない下着姿などが画面に頻繁に登場する母親レイを演じたメリッサ・レオ。 セリフの少ない役どころながら、その演技からは微妙な心の動きが伝わって見事です。  

  やがて、不法ビジネスを重ねる二人に転機が訪れます。 中東の夫婦を運んだ際に起きる予期せぬ出来事から、それまで反目しあっていた二人の心が、微妙に変わり始め ます。それは、お互いの母親としての共感からですが、迫り来るクライマックスへの布石となります。 所行が当局の知るところとなり、犯罪者として負われる身となる二人、その後の人生を左右するであろう究極の選択を迫られる事態が・・・。 先住民問題を絡めたアメリカ社会の複雑さと閉塞を、シンプル且つ如実に表していて、スリリングで且つ心に浸る結末が訪れます。

 「凍った河」に象徴される、冷たい現実と深い溝。 全編寒々しいトーンの映像が、エンドシークエンスでは、少し春を思わせる明るい光でしめくくられ、ほとんど笑わなかったモホーク族ライラが、我が子を抱きながら見せる笑顔と共に希望を予感させ暖かさがただよい、静かな感動で満たされます。

2010/02/13 渋谷シネマライズにて 

2009年12月17日 (木)

戦場でワルツを

先週末、旧友何人かと集まる機会があり、その久々の東京詣でのついでに、銀座でイスラエルの映画を観て参りました。 銀座4丁目角、和光の裏手にある老舗の劇場「シネスイッチ銀座」です。Waltz_1_1b

 原題は、"WALTZ WITH BASHIR" 「バシールとワルツを」 。バシールとはバシール・ジェマイエルという人物のことで、詳細につてはWikipediaにもまだ記載がありませんが、この映画の特徴的なシーンにその容貌が大きなポスターで観られます。既に故人ですが、そのことがこの映画の背景にあります。

 アリ・フォルマン監督・脚本による、自身が従軍した1982年のレバノン内戦の記憶を探るという手法。シュールな色彩、大胆且つ特徴的なアニメーションで作られた、ドキュメンタリー作品でした。右の告知チラシからもご覧頂けると思います。アニメーションで、且つドキュメンタリーという、普通では相容れない手法が斬新です。

 "サブラ・シャティーラの虐殺" "PTSD=心的外傷後ストレス障害"が、ストーリーの骨になります。この20年以上前のレバノン内戦について、詳しい方はあまり多くないと思いますが、私自身も勿論そうでした。 少し知識を仕込んでから鑑賞すべきだったと少し後悔しています。

 中東や中央アジア、アフリカ各地で今も続く戦争状態、安穏とした私たちの日常と同時進行で殺戮が起きていることに、日々いかに無関心であるか、戦争をテーマにした作品を観るたびに思い知らされます。 WALTZ

 新兵として前線に送られた若者が、恐怖のあまり際限なく機関銃を乱射しながら進軍する場面や、今まで軽口を聴いていた先輩兵が、たった一発の銃弾で、生物から、ただのモノになってしまう場面など、無表情なアニメーション帰還者の口から語られる戦場のリアリティーが痛々しく感じられます。

 作品中で語られるエピソードにこんな部分があります。 「あるアマチュアカメラマンが戦場で撮影をしていた。戦闘状態にもかかわらず彼は嬉々としてそれを撮影し、興奮していた。あるときカメラが壊れ、ファインダー越しに戦場を観ることが出来なくなった彼は、突然恐怖に襲われたという・・」。 遠く傍観者でしかあり得ないながら、時として訳知り顔で語る私たちに、その不遜さを責められているとも受けとられる部分かも知れません。

  そして衝撃的なラストの数分間、私は息を止めていたかもしれません。 それまで、で描かれていたアニメーションのデフォルメ映像が、いきなり大転換します。 傍観者であった私たちが、その刹那戦場に連れて行かれたかのような錯覚を覚えます。 これこそ、作者の意図だったのだろうと思います。虐殺を正当化する理由はどこにも存在しません。 今年、米国大統領ノーベル平和賞受賞演説で、戦争の必要性に言及したのが記憶に新しいですが、結果が何をもたらすか、こんな作品から感じ取ってもらいたい気がします。    

 滅多に求めることのない作品のプログラムを、今回は買い求めました。師走の夕暮れ時、華やかに彩られた世界一の繁華街、銀座4丁目~数寄屋橋間、通り沿いの風景。数分前目にした廃墟の映像とのギャップが、小さなトゲのように心に刺さりました。

2009年10月24日 (土)

「南極料理人」

Photo_2 久しぶりの映画感想文です。
 
 海上保安庁勤務から南極ドームふじ基地隊のコックとして派遣された主人公、西村淳のエッセイ「面白南極料理人」を映画化 堺雅人が演じています。真夏に公開された日本映画ですが、文化系オヤジ達の閉鎖空間におけるオモシロ哀しき長期合宿風景描写・・といった感じの作品です。

 冒頭のネタで、いきなり「プッ!」と吹き出してしまい、そこから始まる20分ほどで、極寒南極の、更に寒い高地でおっさんばかりの面子が繰り広げる不思議世界がおよそ解る作りになっています。 

 範囲が極めて限定された舞台設定の中で、隊員個々の人間観察がストーリーの基本となりますが、過酷な環境の厳しさ、大自然のダイナミックさをあえて描かない、過剰な感動を描かない・・むしろ淡々としていて、ほのかなユーモアを交えた日常描写が、日本人のメンタリティーをリアルに表現していて、うまいなあと感じました。

 若い隊員が、日本に残してきた恋人の気持ちを繋ぎ止めておこうと、夜な夜な高額の通信料がかかる遠距離電話で会話をするナイーブさには、草食系男子の悲哀が満ちていて、お約束の顛末もなかなか泣かせます。 西村が調理をボイコット「ふて寝」し、他の隊員が作るまずい料理に涙するシーン、物語のクライマックスともとれる手打ちラーメンのシーン、衛星通信でのフジ基地と日本とのやり取りの場面、どれも非常によくできていて、「平凡に思える毎日だけど、ちょっとした小さな出来事に幸せを感じたり、躓きにも意味があったり、その繰り返しで少しずつ歩むのが人生なんだよ・・」という作り手のメッセージが聞こえてきそそうです。

 西村によって饗される日々の食事は、その限定された材料にもかかわらずどれも凄く旨そうで、料理の見せ方にこだわった映像の作り手の狙いが成功していると思います。 そして、閉鎖空間の運動不足が容易に想像される環境で、毎日こんなものを食べていたら、私などは確実にメタボ一直線になってしまうだろうなぁ・・などと妙な不安を抱いてしまいました。

 任務を終え、帰国する隊員達とを迎える人々と、その後の西村一家を少しだけ描く気持ちのいいエンドシーンが、鑑賞後の爽快感に繋がる良作だと思います。商業映画デビューの沖田修一監督、次回作が楽しみです。


at 109シネマズMM21
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