文庫本、鉄砲を捨てた日本人
「鉄砲を捨てた日本人」ノエル・ベリン著 川勝平太訳 中公文庫1991年初版
以下本文より抜粋 ●「現代において、歴史の流れが逝向きになれば、という思いを抱いている人は、ほかでもない歴史学老アーノルド・トインビーである。トインビーの見解によれば、人間は近代技術を乱用しかねない、信頼できない存在である。あたかもそれは、幼稚園児が機関銃で遊ぶのを安心してみていられないのと同じだ、と彼はいうのである。「もし過去三百年の技術進歩を後戻りさせることの是非について、多数決が可能ならば、多くの者が賛成票を投じるであろう。社会道徳が今日のごとく立ち遅れた状態にあるなかで、人類の生存を守りぬくために」
●徳川期日本の歴史的事実ほ、そうした悲観的見解と相反する。日本人ほ技術選択のコントロールを実行してみせた。日本人は兵器の発達を完全に止めた。いや後退さえさせたのである。同時にその間に、日本人は兵器分野以外の多方面にわたって前進をとげたのである。もとより、それはゆっくりとした歩みの前進でほあった。十七世紀から十九世紀の初期にかけての日本の技術変化ほ、西洋に比べると、まことにゆるやかに起こっていた。それほ人間の精神によりふさわしい速度で生じていた、と言ってさしつかえないであろう。徳川期日本に、急激な技術進歩の生むいわゆる「未来の衝撃」(フューチャー・ショック)は存在しなかった。しかし、技術の進歩それ自体ほ生みだされていたのである。だからといって日本、退廃の淵に沈んだのでも、停滞に淀んでいたわけでもない。もちろん、退廃と停滞の袋小路も、さがせば存在したに違いない。しかしそうしたものほ、どの時代、どの社会にもつきものである。徳川期の日本全体を見れば、そこには健全な生命力が息づいていたことが知られる。
戦争が耐えたことの無い世界。人類の生命と文明を完全に破壊できる膨大な大量破壊兵器。文明と引き換えに訪れた気候変動。ネット社会に於ける既存と未知の諸問題などなど、石器時代の脳のまま生きている我々の手に負えないであろうテクノロジーから生じる諸問題が、毎日のニュースから消えることが無い時代に、一考を促す内容でした。
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