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2025年2月

2025年2月12日 (水)

文庫本、鉄砲を捨てた日本人

久しぶりに紙の本を読みました。150ページほどのライトな文庫本。興味深く面白い内容でした。世界の歴史に於いて唯一軍縮を実現した、戦国時代から太平の徳川時代を分析することで、それを奇蹟と呼び、その歴史に学ぶべきことが多いと述べています。確かに、日本人ならよく知っている歴史を、そのような視点に立つことは無かったなぁ~と思い、その斬新さに驚きました。翻訳は、リニア中央新幹線の工事問題で、日本中から総スカンを喰らった、我がふるさと静岡県の前知事、川勝平太氏が政治家転身前、学者の頃に手掛けたものでした。
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「鉄砲を捨てた日本人」ノエル・ベリン著 川勝平太訳 中公文庫1991年初版

 
入浴中に読むことが多かったので、浴槽に水没させヘロヘロになってしまいました(涙)
 
あとがきより「十六世紀後半の日本は、非西欧圏で唯一鉄砲の大量生産に成功し、西欧のいかなる国にもまさる鉄砲使用国となった。にも拘らず江戸時代を通じて日本人は鉄砲を捨てて刀剣の世界に舞い戻った。武器の歴史において起るべからざることが起ったのである。同時代の西欧では鉄砲の使用・拡大によって戦争に明け暮れていたことを考えると、この日本の(奇蹟)が示唆するところは大きい」

以下本文より抜粋 ●「現代において、歴史の流れが逝向きになれば、という思いを抱いている人は、ほかでもない歴史学老アーノルド・トインビーである。トインビーの見解によれば、人間は近代技術を乱用しかねない、信頼できない存在である。あたかもそれは、幼稚園児が機関銃で遊ぶのを安心してみていられないのと同じだ、と彼はいうのである。「もし過去三百年の技術進歩を後戻りさせることの是非について、多数決が可能ならば、多くの者が賛成票を投じるであろう。社会道徳が今日のごとく立ち遅れた状態にあるなかで、人類の生存を守りぬくために」

●徳川期日本の歴史的事実ほ、そうした悲観的見解と相反する。日本人ほ技術選択のコントロールを実行してみせた。日本人は兵器の発達を完全に止めた。いや後退さえさせたのである。同時にその間に、日本人は兵器分野以外の多方面にわたって前進をとげたのである。もとより、それはゆっくりとした歩みの前進でほあった。十七世紀から十九世紀の初期にかけての日本の技術変化ほ、西洋に比べると、まことにゆるやかに起こっていた。それほ人間の精神によりふさわしい速度で生じていた、と言ってさしつかえないであろう。徳川期日本に、急激な技術進歩の生むいわゆる「未来の衝撃」(フューチャー・ショック)は存在しなかった。しかし、技術の進歩それ自体ほ生みだされていたのである。だからといって日本、退廃の淵に沈んだのでも、停滞に淀んでいたわけでもない。もちろん、退廃と停滞の袋小路も、さがせば存在したに違いない。しかしそうしたものほ、どの時代、どの社会にもつきものである。徳川期の日本全体を見れば、そこには健全な生命力が息づいていたことが知られる。

戦争が耐えたことの無い世界。人類の生命と文明を完全に破壊できる膨大な大量破壊兵器。文明と引き換えに訪れた気候変動。ネット社会に於ける既存と未知の諸問題などなど、石器時代の脳のまま生きている我々の手に負えないであろうテクノロジーから生じる諸問題が、毎日のニュースから消えることが無い時代に、一考を促す内容でした。


2025年2月 5日 (水)

休日の映画 小劇場にて

連休の後半は映画館に。最近よく行く隣町の単館系シアター。小さいながら、スクリーンが3つあり、毎日沢山の作品がかかるので続け見もでき、気に入ってます。作品公開時期が、東京などより少し遅れたスケジュールなので、メディアでの紹介やレビューを見た後に興味持っても、ゆっくり鑑賞できるのでありがたいのです。頑張って生き残ってね。

この日続け見した2本目、ブータンの作品が面白かったので簡単なレビューを。少し前に同じパオ・チョニン・ドルジ監督が撮った処女作を見て気に入っていましたので、タイミング良く次作を見ることができて良かったです。
 
長くチベットの影響下にあったブータン。20世紀の初め、現王朝の下で王国となり現体制となりましたが、大きく変化したのが1972年に16歳の若さで即位した第4代国王の下での政策。GNH(Gross National Happiness・国民総幸福量)という、今や世界中で有名となった哲学を提唱し、独自の道を進んでいます。そんなブータンで、国王が行政権を手放し、民主制に移行する選挙を行い、国民のリーダーを選ぶことになった。さあどうする?というのが物語の下敷きです。
 
選挙の告知をするラジオ放送を、仏教の高僧が聞き、弟子に、鉄砲を2丁調達するようにという命令を出します。平和な国のお坊様が何故鉄砲を・・と言う疑問が解けないまま、いろいろなエピソートが起ります。敬愛される国王の下、GNHに沿って穏やかに幸せに暮らしてきた多くの国民。近年解禁されたテレビ放送とインターネットによって、価値観を多様化させている人びと。仏陀の教えに忠実に生きる仏門の人びと。西洋型マネー至上な人びと。そんなひとたちによって、鉄砲と選挙をめぐり、可笑しくも暖かく、そしてとても示唆に富むストーリーが展開されます。
 
「選挙とは、みんなが幸せになれるよう、リーダーを選ぶこと・・」という説明に。「私たちは国王陛下の下、いままでも幸せだった。なぜそんなことをするのか?」 う~む、胸に手を当ててしまいますね。そして、思い切り腑に落ちるストーリーの組み立てと、答えを用意してくれるラストは見事だと思いました。
 
前作「山の教室」は、ひたすら純真無垢を中心に据えてシンプルに描かれましたが、今回は変りゆくところと、そうでないところが絡み合い、ひねりの入ったストーリー。そしてやはり、日本人にはとても郷愁を誘われる、美しい自然風景と農耕地。ブータンの魅力120%味わえて大満足。エンドロールの終了に拍手差し上げたら、客席あちこちから追随する人も。みんな優しい気持ちになれたのだな~と確信しました。オススメです。
 
お坊さまと鉄砲 The Monk and the Gun 2023年ブータン・フランス・アメリカ・台湾合作

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2025年2月 3日 (月)

休日の小旅行2

前回の続き。富士山をお供に西伊豆の海岸を走ってきました。

Photo_5 戸田から北上する途中にある展望台から見下ろした海。逆光に光った水面と、漁船の影が面白い絵でした。

2ダイビングスポットとしても有名な、大瀬崎海岸。戸田と同じように、せり出した岬があり、外側からは富士山が近くに見えます。この頃は、季節風が随分強まって、立っているとよろけるほどでしたが、海が良い具合に波立ったので、写真としては面白くなりました。

Photo_7 大瀬崎を後に、岐路の途中。道路際の展望台から見える風景。手前の愛鷹山に重なる場所ですね。海の中にせり出しているのが大瀬崎。海+富士山もここでお別れでした。

半日のドライブでしたが、冬化粧をした富士山が堪能できました。また、ゆっくり訪れたいです。


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2025年2月 2日 (日)

休日の小旅行

お正月に営業する風林堂は、繁忙期を過ぎてからお休みを頂戴しています。今年の1月は、最終週に5日間休暇をいただき、小旅行に行ってきました。目的地は西伊豆。冬装備をしていないクルマでも雪の心配が無く、この時期でも比較的暖かいところです。今回は、堂ヶ島の旅館に一泊し、海沿いを走って、富士山を眺める旅になりました。

初日はあいにくのお天気で、西伊豆自慢の駿河湾に沈む夕日の絶景は見られませんでしたが、翌日は徐々に回復し、昼前くらいから、海越しの富士山が見えるようになりました。

Photo戸田漁港にせり出した岬の先、松原越しに見た富士山。山梨の湖からも綺麗ですが、清水育ちの私は、やはり海+松がしっくりきます。

Photo_2岬に囲まれた静かな湾、戸田漁港。午前中の日が射して海も光っていました。

Photo_3 同じ戸田漁港を、昨年末に購入した超広角レンズで撮ってみました。

Photo_4 道路沿いにある展望台から見た砂浜と富士。この上の2枚を撮ったのは、茶色に見える砂浜あたりです。

続きは次回に。


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