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2017年12月31日 (日)

2017年を振り返って

今年も、大晦日を迎えました。製造小売業の風林堂は、28日に製造工場の仕事を終え、今日いっぱい販売に専念するはずだったのですが、予想以上のご来客をいただき、欠品が相次ぎましたので、バックヤードの仕事も平行して行う年末となりました。今日も、一日慌ただしく過ごすことになりそうです。

さて、そんな大晦日の朝のひととき、自分自身と会社の一年を振り返ってみようと思います。今年は、決算期に運転資金がショート気味になってしまったこと。秋口から、製造設備老朽化に伴う、製造ラインのトラブルに相次いで見舞われ、マイナスの投資を余儀なくされてしまったことが、若干のネガティブ要因でした。幸い、深い傷になることなく乗り切れたので、年末には順調な経営状態を取り戻すことができました。

製造現場のトラブルは、受注の納期に影響が出ますので、来年は、今回の出来事を教訓にして、設備メンテナンスにも注意を払うことにしようと思っています。受注、製造、販売と、日々の業務に追われていると、設備の状態に目が届かず、トラブルが起きてから慌てるという繰り返しなので反省です。


2017 2017年最後の朝日。大晦日は曇りだったので、30日の写真です。

さて、個人的なお話としては、初夏に1冊の本に出会いました。橘玲著『「幸福の資本」論』。「資本論」ではなく「資本」論と、語句が分かれているところがミソで、おおまかな内容は、幸福な人生を送るには、「資本」として、何が必要か、それを得るためには、どのように考え、行動すれば良いかというのを、著者なりの視点で解説していくという内容です。もともと、橘氏のファンで、ほぼすべての著作を読んでいますので、内容的には過去の著述と重なり、既に知っていることも多いのですが、それらを、ひとの「幸福」という視点から、新たにまとめた内容で、とても読み応えがありました。

幸福とは、極めて主観的な概念ですから、その本質が何かというのは、議論が分かれるとは思いますが、現代の日本という、歴史上最も豊かで安心に暮らせる国に生まれ育った私たちは、正しい戦略を持って人生デザインを描いて行けば、一般的な価値観としての「幸福」を手にすることが可能だと説いています。幸福な生き方を手に入れるための基本なインフラとして、自由を得るための「金融資産」自己実現のための「人的資本」こころの幸福のための「社会資本」の3つを柱に考えて行きます。語句の意味するところ、「金融資産」はすぐに解ると思いますが、他の2つは若干の解説が必要になりますね。「人的資本」とは、労働市場から報酬を得るための力、つまり稼ぐ能力のことですが、ここでは仕事を通じての生き甲斐や、充実感を指します。「社会資本」とは、人間関係のことです。家族や友人などとの繋がり、少し前に流行った言葉でいえば [絆」と言い換えてもよいかも知れません。この、3つの概念を基本に、すべてを持たない「貧困」から、すべてが満たされた「超充」まで、人生を8つのパターン分けして、論じています。そして、読み手がどのパターンに属しているのか判断し、目指すべき最善の人生への道筋を示す、指針となる内容です。

そして、戦後の経済発展を支え、多くの日本人がスタンダードだと考えてきた、新卒入社から定年まで、同じ企業に勤める、サラリーマンという生き方が、経済の拡大局面を終えた今、3つのインフラ構築にフィットしなくなってい来ていることを指摘し、より良い別の人生設計があるとしています。

私が、自分自身の環境と重ね合わせたのは、中小企業のオーナー経営者という生き方について触れた部分です。「自然人」「法人」というふたつの人格を持ち、使い分けることのメリット。(過去の著述で、何度も触れられていますが)自由市場経済社会に於いて、巨大企業と共存し、生き延びていくための戦略などが書かれていて、社会的弱者と認識されている小さな企業が、実は合理的な存在であるとされ、とても勇気づけられるものでした。

橘氏の書く書物の内容は、最新の脳科学や進化心理学の知見、統計資料などによるエビデンスに裏打ちされ、説得力があります。ともすると、混同されがちな、巷に良くある自分磨きのための、自己啓発系のビジネス書とは一線を画します。というか、そういった類の啓発本を否定する立場です。言わば、最新の地図を示しつつ「さあ、あなたはどの道を選び、どの目的地を目指しますか」と、問うてきているようなイメージです。

1960年生まれの私は、東京オリンピックイヤーに還暦を迎えます。企業に勤める同級生の多くには、定年退職の時期が迫っています。多くがリタイアして、「老後」に入るか、第二の人生を模索するか、あるいは、それまでと同じ会社で再度雇用されるかという道を歩むのでしょう。長らく続く出生率低下の結果、現役世代層の減少による労働力不足。加えて、人口高齢化による社会保障費の枯渇懸念から、60歳を超えても働くことが求められ、また、必要に迫られることとなるかもしれません。私自身は、自ら退かなければ、仕事を失うことはありません。自分の意志で道を決められることは、ある意味幸福かも知れません。未来を予想することはできませんが、唯一解っている、人口動態による社会変化。会社=自分という生き方を、これからの日本社会にどうフィットさせていくか、この本を手元に置き、戦略を描くことができそうな気がしています。

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2017年9月 4日 (月)

初夏の写真「上高地」3

初夏の写真を載せ終えないうちに、秋の気配になってきてしまいましたが、続けて参ります。

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●この日泊まったのは、通い詰めていたころから定宿にしていた、明神の「山のひだや」。今でも、自家発電なので、夜になるとランプが活躍します。

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●翌朝、宿のカフェのランプが灯りました。

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●明神から少し上流へ向け歩きました。あいにくの小雨模様で、周囲の山々は、煙っていて、引いた写真が撮れませんでしたが、足下には、こんな風景も。針葉樹の若芽です。

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●明神から、次の徳沢へ向かう途中、道の脇から、河原を見渡せる場所があります。多分、上高地を撮影フィールドにしているカメラマンは、一度は撮ったことがある構図と思います。

約25年ぶりに訪れた、高地の楽園。大正池から河童橋までは、日本屈指の山岳リゾートとして名高く、時代と共に設備も良くなって、都会からやってくる観光客にも不便無く過ごせるようになっていました。河童橋の先、所謂「奥上高地」と言われるところに踏み入ると、まだまだ昔の面影が残って、行き交う人達も、登山やハイキングの装備です。
穂高の峰々を登っていた頃は、このあたりはまだほんの入り口。急ぎ足で通り過ぎることも多かったですが、ゆっくり歩いてみると、十分楽しめました。後ろ髪を引かれる思いで下山しましたが、次の機会が楽しみになりました。

2017年8月20日 (日)

初夏の写真「上高地」2

前回に引き続いて、7月上旬に訪れた上高地の風景写真を載せて参ります。

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河畔に多く見られる樹木です。この時期に満開を迎えます。大木全体が白い花に彩られて、見事です。

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上高地で一番代表的景観、河童橋を過ぎ、上流を目指しました。川の右岸には、林の中を歩ける遊歩道が整備され、所々には木道も付いています。

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樹林帯の遊歩道脇に、本流から分かれた小さいせせらぎが沢山見られます。水辺には草の若芽が美しいも緑を見せてくれます。

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こちらも初夏花の代表選手、ニリンソウ。河童橋から上流に向かうと、至る所に群落が見られるようになります。一株から2輪の花が咲くので、この名がついたようです。花のサイズは、人の指先ほど。可憐です。

次回に続きます。

2017年8月14日 (月)

初夏の写真「上高地」

20歳台後半の数年間、山の写真に凝り、写真器材を担ぎ、あちこちの山歩きをしていた時期がありました。しかし、30歳を過ぎたころ、お店を営むことになってからは、まとまった休みを取ることができなくなり、足が向くことが無くなっていました。

今年になり、当時、よく撮影行をご一緒させていただいた、写真友だちの先輩が、会社を定年退職され、時間に余裕ができたとおいう話しを聞き、久しぶりに懐かしい上高地に行ってみようということになりました。私にとっては、およそ30年ぶりです。

7月上旬に訪れた上高地は、新緑と初夏の季節です。あいにく、梅雨入りの日と重なり、小雨がぱらつく、1泊2日の散策でしたが、久しぶりに触れる高地の自然を満喫することができました。

その時に撮った写真を、何枚か載せたいと思います。

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上高地の入り口、沢渡(さわんど)駐車場に車を駐め、タクシーに乗ります。最初に着くのが、大正池。梓川の向こう側にある、活火山「焼岳」の噴火で、せき止められてできた池。名物の立ち枯れの木は、今はほとんど無く、上流の一部に少し残るだけとなっています。

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 大正池から、川沿いに遡ると、田代池につきます。梓川の本流から分かれた小さな流れがあちこちにあり、あたりは清涼感いっぱいです。

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あいにくのお天気で、周囲の山々をはっきり見ることができませんでしたので、代わりに、足下の花々に目がいきます。エチゴキジムシロという、小さな花。手持ちの中で、一番近寄れるレンズで接写しました。

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梓川本流の右岸に付いた遊歩道を散策。ウエストン碑の少し下流あたり、開けて流れが見渡せる場所で撮りました。Facebookに投稿し、もっとも「いいね」を沢山もらったのがこれでした。

続きは、次回に。

2016年12月 4日 (日)

秋の風景写真4

風景写真ギャラリー、今回が最終回です。

Photo_2●旅の二日目。宿泊した温泉場を出立し、小布施に立ち寄りました。観光バスが沢山やってくる一大観光スポット。何軒かある栗菓子屋の店頭で見つけた風景です。

Photo_3 ●小布施で立ち寄ったワイナリーの売店。洒落たテラスの、テーブルに置かれたワインボトルと、紅葉を合わせてみました。

Photo_4 ●栗菓子で有名な小布施堂のカフェ。裏口に掛かっていた暖簾。和のイメージそのものですね。

Photo_5 ●帰りの道中で、再び立ち寄った上田。信州の小京都と言われる、別所温泉にある古寺も、紅葉の真っ盛りでした。参道石造りの手すり越しに切ってみました。


一泊二日の短い旅でしたが、出発前に心配された雪にも逢わず、とても楽しめました。写真も気に入ったものが沢山撮れて満足。年末の慌ただしさ前のひととき、命の洗濯ができました。

2016年12月 1日 (木)

秋の風景写真3

秋の風景写真ギャラリーその3です。

1 ●善光寺、本堂裏の庭園。小さな池の水面に落ち葉が集まっていました。PLフィルターで、薄日の反射を抑え、しっとりした印象にしてみました。

2 ●善光寺、本堂裏の庭園。数センチ積もった色とりどりの枯葉。お寺の塀越しに、一瞬光が射して、アクセントになりました。今回の旅で一番気に入っている1枚です。

Photo_2 ●善光寺門前。秋が深まっても、色を変えないクマザサの葉。宿坊の入り口に色を添えていました。

Photo_3 ●善光寺門前町の脇には、細い路地が沢山ありました。鮮やかな秋色写真の中に混ざると、アクセントになるかなと思い、加えてみました。

次回に続きます。

2016年11月27日 (日)

秋の風景写真2

前回に続いて、秋の信濃路で撮った写真を載せます。上田を出て上信越道を北へ向かいました。

Photo ●善光寺の裏庭、小屋軒先。和のイメージにインスパイアされました。シルエットと、紅葉を重ねたら、良い感じになりました。

Photo_2 ●善光寺の門前町にて。長野駅まで続く長い一本道の両側には、興味をそそられるお店が沢山連なっていました。今回は、少しだけしか歩けませんでしたが、また、ゆっくり訪れたいと思わせてくれました。

Photo_3 ●善光寺門前の旧い宿坊。年月を経た味のある瓦屋根と、楓の紅葉がマッチしていました。日差しがあったら、違う表情になったと思います。

Photo_4 ●善光寺本堂の裏庭。植え込みの木々から落ちた葉が積もって、工芸作品のような色を作っていました。フラットな光で、枯葉が落ち着いた表情になります

次回に続きます。

2016年11月25日 (金)

秋の風景写真

11月の初旬、紅葉を求めて、小旅行に行って参りました。同行してくださったのは、学生時代からお世話になっている先輩お二人。1年に一度、男だけの気楽旅も、6回目となりました。

今年は、秋の盛りに仕事が立て続き、紅葉の時期を過ぎてしまったかと、少し心配でしたが、北信州の町中には、まだ至る所に残っていて、鮮やかな色を楽しむことができました。

予定してたコース。群馬の北から、山間部を抜けて、志賀高原方面から信州に入るというコースは、既に雪があって通れず、上信越道を利用したコースとなりました。

Photo_2 ●NHK大河ドラマで注目された、真田氏縁の上田城址で撮った写真です。水路に落ちて張り付いた枯葉が、模様のように見えました。葉っぱを生かすため、水の流れを最小限に表現しました。

Photo_3 ●同じく、上田城址公園。園内は、至る所紅葉の真っ盛りでした。水のない外堀は、周遊路になっていて、そこから見上げると、青空と紅葉が、見事なコントラストでした。

Photo_4 ●再建されている櫓。戦国の世のお侍も、こんな風景を見ていたかもしれないですね。

次回に続きます。

2015年12月13日 (日)

社会問題と書物

 定期購読している有料メルマガ、今月初めに配信された内容が、画像の本を解説したものでした。後藤健二さん湯川遥菜さんの事件が起きた際、マスコミの会見で注目された、同社大学教授で、日本で唯一のムスリムのイスラーム法学者、田中考さんの著作です。 

Photo_5ISISが主張するイスラーム原義と、“正統派”のムスリムおよび西欧の価値観がなぜ相容れないのかが書かれているそうで、●イスラームとヒューマニズムは両立できない。●イスラームにはテロを批判する論理がない。●死や不幸は神の意思として受け入れる」という信仰。●サラフィー主義では、自由や平等、人権、デモクラシーなどの近代的な価値を認めない、等々。


 世の中の仕組みや、原理を教えてくれる書物を読むのが好きな私には、とてもエキサイティングで、ゾクゾクしました。まるまる1冊読む時間とリテラシーが足りない自分には、ありがたい内容です。 一方、フランスや中東で起きているテロリズム。ISISと西欧との対立を解消することが、いかに困難かも思い知らされます。日々語られる、ISISと諸国の戦いへの報道や解説が、いかに表面的で偏っているかもよく分かります。 

 また、田中氏の考えるイスラームの世界観とは「この世界は過去から未来へと連続するものではなく、神が一瞬ごとに創造しているのだという。私たちはすべて、「過去」の記憶を持たされてこの瞬間に生まれ、そして消えていくのだ。」というものだそうです。

 これを受けて、メルマガの著者は、以下のように結んでいます「ムハンマドは6世紀後半から7世紀前半のひとで、進化論や分子遺伝学、相対性理論や量子力学はもちろん万有引力の法則すら知らなかった。いくら宗教的天才とはいえ、むかしのひと考えたこと(それも、たたかいのなかで味方を叱咤激励するためのとっさの言葉)を現代社会に通用するように“論理的に”語ろうとすれば、このような思考の迷宮にはまりこむのは当然に思えるが・・・。

2015年7月17日 (金)

懐かしいCD

この春、母校の購買会から仕事をもらい、大学キャンパスを訪れたりしました。随分長いこと忘れ去っていた、学生時代の記憶が蘇り、若かった頃のマインドも思い出されてきます。

そんな、おセンチ気分で引っ張り出してきたのが、写真のようなCD達。高校生くらいから、洋楽一本槍で愛聴してきたのは、70’s以降のアメリカフォークロックの流れを引く、ポップスです。

加えて、30年以上の長きに渡り魅了され続けているシンガーソングライター、ジャクソン・ブラウンの新譜が、自分の若い頃に聴いた音に戻ったかのようなコンセプトで、ガツンとこころの奥深くに突き刺さりましたので、ノスタルジースイッチが、完全にオンとなった訳です。

Cd 中央が新譜。その他はアメリカンポップスのクラシック。

これらを聞き込んでいた頃のソースは、もっぱらカセットテープにダビングした、携帯オーディオ(所謂ウォークマンタイプですね)でしたが、仕事に就いてからは、主に移動中のカーオーディオが主役となりました。しかし最近は、ネット集客と、地元の販路が多くなり、自動車での配送業務は随分減りましたので、音楽に触れる時間そのもののも減少中。願わくば、もう少し余裕のある時間を過ごしたいなぁと思う昨今です。

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