2年が経ちました
おはようございます。手焼きせんべい風林堂 酒井浩です。
今日は3.11、あの大震災から2年が経ちましたね。今朝は朝から関連の話題がマスメディアを賑わせています。
震災発生当時、何か支援が出来ないかと思って作ったのが写真の「義援せんべい」です。
店頭、Web、併せて15万円ほどの売り上げになり、全額を日赤を通じて寄付しました。役立ててくれていると思っています。
あの当時を振り返るととても暗い気持ちになりますが、それは情報化社会のおかげで、ほぼリアルに被災地の状況が世界中に伝わり、その悲惨さが共有されたという背景が大きいと思います。そして遠く離れた東北での出来事が、更に身近な恐怖として迫って来たのは、言うまでもなく福島第一原発の事故ですね。
あのとき、官房長官が伝える「ただちに人体に影響のある事態ではない」という言葉とは裏腹な憔悴してこわばった表情と、刻々伝わってくる原発の危機的状況。そして遂に建物が爆発して吹き飛ぶという映像を目の当たりにしたときには、過去に感じたことのない本物の恐怖を感じました。
もし放射性物質が大量に放出され、首都圏に死の灰が降ったらいったい日本はどうなるのだろうか? 一家を守るべき立場の自分はそのときどうすれば良いのだろうか? 身の回りのものをまとめて、とりあえずどこまで逃げられるのだろうか? そんなことまで考えました。
幸い首都圏に死の灰が降るという最悪の事態は避けられましたが、その後のパニックや、2年が経過してなお、遅々として進まない後処理の状況を伝え聞くに、やはり思うのは、この地震国に原発がいかに危ないかということですね。
常に電力の恩恵を受けている身であり、原子力だけはイヤだという子供っぽい理屈を述べるつもりはありませんが、何と言っても核廃棄物処理の問題が解決しないうちは、やはり別の道を模索するのが正しいのではと考えてしまいます。
新政権は原発再稼働に前向きと伝えられ、それは経済最優先の考え方に起因しているのだと思いますが、脱原発により一時的に苦しんだとしても、将来的な安心を今目指すほうが大人の選択ではないかという考え方は、少数派では無いと思いますが、いかがでしょう。
原発を含むエネルギーに関わる問題は非常に複雑多岐で、利害も多く簡単に答えの出せない事柄であるのは、世の中に溢れる論議を見ていれば容易に察しがつきます。しかし、家や土地を奪われ、その先の人生に道筋が見いだせないでいる、原発事故の被災者の状況が、もし我が身であったらと想像すると、どうにもやるせない気持ちになります。やはり何か答えを見つけるべき時期ではないのかなと思ってしまいます。
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