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2021年6月

2021年6月17日 (木)

5年後15年後の不安

昨年還暦を超えて、人生の第四コーナーに差し掛かっているのかと思えることの多い昨今です。人間ドックでは、重篤はないものの、検査結果に加齢からと思われる注意数値が多くなり、定期的に医療機関を受診することも増えてきました。そして、一年半余り、要介護の親を身近に置いてきて感じることは、やがてそれは我が身に訪れるかもしれないという漠とした不安です。まだまだ先のことと、高をくくることは簡単ですが、例えば経済的な準備などは、その時が来てから慌ててもどうにもなりません。間もなく訪れる、世界でどの国も経験したことのない超高齢化社会を迎える日本。せめて、現状はどうなっているのか知っておこうと調べてみました。

経産省資料=将来の介護需給に対する高齢者ケアシステムに関する研究会報告書
https://www.meti.go.jp/press/2018/04/20180409004/20180409004-2.pdf

気になる資料が見つかりました。介護現場における需給ギャップを表すグラフです。12025年問題として以前から言われていた、団塊の世代が後期高齢者となって、社会保障負担が重くなるとされている時期はもう5年後に迫っています。その10年後の2035年には、介護における需給ギャップは75万人に達すると試算されています。介護を受けたくとも、担い手がいないという状況が当たり前になるでしょう。注意が必要なのは、この資料は2018年に作成されているということで、今の新型コロナウイルスパンデミックの前だということです。報道等で目にするコロナ禍の介護現場の窮状は、介護従事者の離職を進めることは間違いありませんので、このギャップはこれより大きくなることも予想されます。(ちなみにこのグラフは、介護離職を最小限に見積もっているそうです)

勿論、政府もこの状況を静観している訳ではなく、諸対策に着手しているようです。資料の中では、高齢者の社会参加を促し、健康寿命をできるだけ伸ばして要介護率を下げる。介護の担い手確保のため、未就労者の就業促進、海外(アジア諸国)からの人材獲得。社会全体が介護を分担する仕組み作りなど、様々な方策や取組みが挙げられています。

社会の高齢化は日本だけではなく、先進国全般の問題なので、日本の取組みは各国から注目されているようです。しかし、ここにも新たな問題が指摘されています。韓国・台湾・香港・シンガポール・タイに加え目覚ましい成長を遂げてきた中国にも、今後は高齢化の波が押し寄せるものと言われています。最近、中国が、出生数を増やす方向に舵を切ったという報道を目にしたばかりですね。さらに未来に目を向けると、今は発展途上国として急成長を遂げている東南アジア諸国も、数十年後には高齢者人口の比率が高まっていくことになると予測されています。以前にも書いたことがありますが、人口動態は、戦争や内乱、疫病などで大量死する恐れがなくなった現代では、先進国だけでなく新興国でも半世紀後までの人口と構成比などをほぼ正確に予測できるとされていますので、これは動かない事実と考えるべきですね。(コロナウイルスパンデミックで多くのひとが亡くなっていますが、世界の人口規模から見ると僅かです)

Img_care01_02_2UN,World Population Prospects:The 2015 Revision

そうなりますと、現在介護担い手の供給源となっている国々でも、やがて人材が不足し、各国が介護者の争奪になる可能性が高くなるのは必然で、ここでも売り手市場となるでしょう。受給のバランスを考えれば、サービス価格の上昇が予想されます。かつては、アジアの経済トップリーダーだった日本ですが、その地位はどんどん低下し、もはや近隣アジア諸国にとって、日本は経済的に魅力のある国ではなくなっているという指摘もありますので、今後、働く場所として日本が選ばれる可能性も低下することも予想されます。2000_2

少し前に、「老後2千万円問題」が大きく報じられ、国民の間でも様々な場面で取り上げられましたが、その必要資金には、介護サービスに払う対価は含まれていなかったと記憶しています。仮に、人生の最終盤に於いて、介護施設などでサービスを受けることになった場合、この試算より多くの自己負担が必要になるでしょう。そして、その期間が長ければ長いほど積算金額も上昇しますが、終わりを自分で決められない以上、その費用の総額をあらかじめ予想することは出来ません。

ずっと健康で、だれの手助けも必要なく生涯を終えられれば問題ありませんが、それは望んでも叶えられません。将来、自分の意思で死期を決められるようになれば、その心配もなくなりますが、今の日本の政治では議論さえされていませんので、すぐに実現するとも思えません。ここに書いた予想が大きく外れ、何の心配もない老後を迎えられればハッピーですが、それを信じて楽観的に生きるのはリスクがありそうです。

このような状況でせめて個人としてできる対策は、できるだけ心身の健康を維持することと、いざというときに備えて、公助のみに頼らない老後の経済的な自立を目指すことことくらいでしょうか。どちらもすぐに始められますが、実現するのは一朝一夕では無理そうです。


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2021年6月11日 (金)

休暇の写真 上高地と飛騨高山4

旅の写真今回が最終です。

Photo
【茶碗】高山の店舗にて
OLIMPUS E-M10 MarkⅡ ZUIKO DIGITALED 50mm F2.0 Macro旧い街に多い町屋を改造して、店舗にしているところが沢山あります。和風の雑貨を扱うお店の中は、電灯光と、自然光が混ざった良い雰囲気を生かすため、補正せずに撮りました。

Photo_2
【旧い家屋にて】高山
OLIMPUS E-M10 MarkⅡ DIGITALED 12-40mm F2.8 PRO
奥行きのある建物の中程には坪庭があり、風情を醸しています。

Photo_3
【フウチソウ】高山の旧い街にて
OLIMPUS E-M10 MarkⅡ DIGITALED 12-40mm F2.8 PRO
家々の前には、鉢植えが並べられ、趣があります。フウチソウが涼しげでした。


5月末、上高地は新緑に少し早く、麓の森の緑が一番鮮やかな時期でした、お日様が射すことが少ない2日間でしたが、いつもなら人の多い上高地と高山はとても静かで、独り占めしたような贅沢な時間を過ごすことができました。


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2021年6月 6日 (日)

休暇の写真 上高地と飛騨高山3

写真投稿3回目です。

旅の2日目は、奥飛騨へ向かい、新穂高ロープウエイで高いところの景色を愛でる予定でしたが、天候に恵まれなかったため、急遽高山の街を尋ねることにしました。とても絵になる街ですが、コロナ蔓延防止措置の対象地域となっていたため、旧い街並みのなかで休業しているお店が多かったのが、少し残念でしたが、静かな街の散策が楽しめました。

Photo
【老舗の看板】飛騨高山
OLIMPUS E-M10 MarkⅡ DIGITALED 12-40mm F2.8 PRO
鉢植えの新緑と、年季の入った板看板のコントラストが気に入りました。


Photo_2

【老舗の暖簾】高山の造り酒屋
OLIMPUS E-M10 MarkⅡ DIGITALED 12-40mm F2.8 PRO
旧い街区には、間口が狭く奥行きの長い町屋造りが多いですが、ここは間口の広い立派な構えの作りで、暖簾も何枚か連なっていました。


Photo_3

【人力車】高山の旧い街にて
OLIMPUS E-M10MarkII LUMIX G X VARIO35-100mm F2.8
飛騨の観光スポット高山も、ほとんど人気が無く、人力車も停まったままでした。


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2021年6月 1日 (火)

休暇の写真 上高地と飛騨高山2

休暇の旅先で撮った写真Part2 です。

Photo
【ニロンソウ可憐】上高地田代橋
OLIMPUS E-PL1 ZUIKO DIGITALED 50mm F2.0 Macro
ウエストン碑の少し下流、西穂高岳への登山口付近に、上高地初夏の花の代表選手ニリンソウの群落があります。


Photo_2
【速し清流】梓川
OLIMPUS E-M10 MarkⅡ DIGITALED 12-40mm F2.8 PRO
雪解けが始まった槍、穂高の水を集めて、一気に流れ下ります。


Photo_3
【雪解け水を集める梓川】上高地田代橋
OLIMPUS E-M10 MarkⅡ DIGITALED 12-40mm F2.8 PRO
帝国ホテルの近くにある橋から見る梓川と岳沢。雪どけが始まった春に、ぐっと水量が増えます。


Photo_5
【新緑の道】平湯街道
OLIMPUS E-M10MarkII LUMIX G X VARIO35-100mm F2.8
安房トンネルを抜け、飛騨に向かう山岳道路から見える山の風景。

次回は、信州から飛騨高山に移ります。


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