2025年4月27日 (日)

映画レビュー、曲解「ブルータリスト」

まだ寒かった頃に劇場鑑賞した作品「ブルータリスト」。あちこちで評判高かったので見たのですが、正直私にはその良さとか、本質などがあまり理解できませんでした。名優を揃え、すべてに品質の高い作品だとは解るのですが、諸々残念な結果になったのが悔やまれています。己の鑑賞眼の未熟さを呪うと共に、まだまだ修業が足りんと反省したものです。いずれ、配信等でもう一度見直したいな~と思っているところ。

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では何故今頃取り上げる気分になったかというと、最近、伝わってくるアメリカ政府の財政削減政策の話題に絡まるからです。新政権になって、各種公共機関への予算が削減され、携わっていた職員が突然解雇されている様がニュース等で見聞きされます。また、政府の経費削減策による研究経費や補助の打ち切りに伴う人員削減で、長らく世界の学術をリードしてきたアメリカの研究環境が激変し始めているという話しも。それと映画がどう繋がるかというと、「ブルータリスト」とは、「ブルータリズム」という、装飾を排したシンプルでモダンな建築様式のことだそうで、それを先駆け実践した高名な建築家の半生を描いた作品なのです。エイドリアン・ブロディ演じる主人公は、第二次大戦中のホロコーストを生き延び、アメリカに移住したハンガリー系ユダヤ人建築家なのですが、当時のアメリカは、こうした才能ある人材を多く受け入れることで、大戦後の大繁栄に繋げ、冷戦にも打ち勝ち(諸説あります)、現在の地位が築かれる背景になったというのが大方の分析です。だとすると、今の政権が進める政策は、頭脳流出を促すことに繋がるのではないでしょうか。予算を削られて、満足な研究を続けられなくなったり、職を失う研究者が多くなれば、その人達は新天地を求めて、海外に脱出する可能性が高いのではないか。そういった人材の受け皿が日本であれば、我が国の未来も明るいような気がしますが、老齢化し、社会補償費の負担に苦しみ、縮み行く現状ではそれも難しそうです。第二次大戦後とは逆に、欧州などが受け入れれられれば別の未来が描けそうですが、最も懸念されるのは、かつて、バブル崩壊後に割を食った日本の技術者が、韓国や中国に渡って職を求め、結果、頭脳や技術が流出し、あの頃技術立国としてナンバーワンと呼ばれた日本が、あっという間にキャッチアップされ、その地位が相対的に下がってしまった現実のようなことが起きる可能性です。国民の福祉は二の次三の次、国の政策最優先で資金に糸目を付けない共産主義独裁国家が受け皿になるかもしれない。そうなった結果、今は躓いている世界第二位経済大国が、再び成長軌道に戻り、長期的に見る世界のパワーバランスや秩序はかなり変わると思われますが、米国の政権からは、そんな懸念は感じられません。これは正に悪しきポピュリズムではないのかとかと思ってしまいます。普段、映画を見て、政治と絡んだ感想を抱くことは多くないですが、今回は映画そのもの理解に苦しんだ結果、別の視点での感想を抱いたという次第であります。


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2025年4月18日 (金)

休日の小旅行 富士の麓

桜がほぼ終った頃、雪の残る富士山と茶畑が見られる場所があると知って訪ねてみました。場所は、相模原市から、高速を使って1.5時間くらいのところ、静岡県富士市大淵地区の「大淵笹場」という場所です。有名な観光地という訳はないですが、平日の昼間にかかわらず、多くの人が訪れていて、外国人も何人か。おそらく、SNS等で知った、普通の観光地では飽き足らない、旅慣れた人たちなんだろうな~と思います。最近整備されたと思わしき綺麗な駐車場もあり、観光スポットとしてメジャーになりつつあるのかも知れないです。4月の上旬に、静岡県の中部まで仕事で出かけ、その時に見た茶畑の様子から、そろろろ新芽が吹く頃かと予想して行きましたが、残念ながら若干早かったようです。捲土重来を期したいです。

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遠くに見えるピンク色の花と緑の茶葉が、浅い春の組み合わせ。


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雲一つ無い晴天でしたが、富士山の頭にかかる雲が取れず、ちょっと残念でした。

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お昼は、田子の浦漁港の漁協が営んでいる、海鮮食堂でシラスの丼をいただきました。混み合う時間を避けようと、13時近くに訪れましたが、まだ受付には長い行列が出来ていて、順番待ちの間に、一部商品が完売という声が上がりました。大人気のスポットです。

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昼食後、事前に調べていた漁港近くの、食品工場を訪ねました。子どもの頃からの大好物、静岡県ではおなじみの「黒はんぺん」。土産にしようとナビを頼りに探しましたが、店舗は構えていなくて製造所のみ。それも、とても小さく古ぼけ、昭和のままの雰囲気を残すところでした。その日は、工場休業日とらしくて、作業はしていなかったのですが、たまたまいらっしゃった親父さんが応対してくださり、買い求めることができました、品書きは、ダンボールの切れ端に、サインペンで書いた5種のみ。迷わず5枚入り黒はんぺんを買いましたが、分厚いのが5枚入って、税込み250円。驚きの安さです。近くならしょっちゅう行きたい(^^)

家から片道1時間ほどの小旅行でしたが、楽しい休日を過ごすことができました。


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2025年4月 1日 (火)

直営店閉店のお知らせ

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2025年3月 6日 (木)

チェコの映画「言葉を失う」動画配信で鑑賞

アマゾンプライムビデオで「あなたへのオススメ」されたので、鑑賞しました。これは、なかなかの作品です。かなりツボりました。詳細を知りたくて、いろいろ調べましたが、どうやら日本では劇場公開されていないようです。邦題「言葉を失う」。チェコの作品。セリフを聞いただけでは、どこの国の言語か判断できませんでした。

不慮の事故で頭部に損傷を負い、身体と言語機能にダメージを負った獣医師と、その身近にいる女性3人を巡るストーリー。謎解きベースの展開と、人物関係の葛藤や感情のもつれなどが、美しくシンプルでスタイリッシュ、時系列を行き来する短いカットの多用で描かれ、ビジュアルとストーリー展開、両方に魅了されます。状況説明を最小限にして、観客の想像力を喚起するシナリオも秀逸。シンプルながら予想外の展開にも唸らされました。そして、鮮やかなカタルシスと、極上の余韻。お見事でした。

タイトルをWeb翻訳で調べたら、直訳は「秘密はない」という結果。邦題の意訳には若干の違和感。ただし、私のPCではチェコ語を扱えなく、普通のアルファベット入力ですから、正確かは不明。

只今無料配信中ですので、ご興味あれば。映画ファン唸らせること間違い無しと推しであります。

「言葉を失う」nema tajemstvi 2023年 チェコ
 

Photo日本語表記の無いポスター

1 ポスターよりずっと魅力的な主役。


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2025年2月12日 (水)

文庫本、鉄砲を捨てた日本人

久しぶりに紙の本を読みました。150ページほどのライトな文庫本。興味深く面白い内容でした。世界の歴史に於いて唯一軍縮を実現した、戦国時代から太平の徳川時代を分析することで、それを奇蹟と呼び、その歴史に学ぶべきことが多いと述べています。確かに、日本人ならよく知っている歴史を、そのような視点に立つことは無かったなぁ~と思い、その斬新さに驚きました。翻訳は、リニア中央新幹線の工事問題で、日本中から総スカンを喰らった、我がふるさと静岡県の前知事、川勝平太氏が政治家転身前、学者の頃に手掛けたものでした。
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「鉄砲を捨てた日本人」ノエル・ベリン著 川勝平太訳 中公文庫1991年初版

 
入浴中に読むことが多かったので、浴槽に水没させヘロヘロになってしまいました(涙)
 
あとがきより「十六世紀後半の日本は、非西欧圏で唯一鉄砲の大量生産に成功し、西欧のいかなる国にもまさる鉄砲使用国となった。にも拘らず江戸時代を通じて日本人は鉄砲を捨てて刀剣の世界に舞い戻った。武器の歴史において起るべからざることが起ったのである。同時代の西欧では鉄砲の使用・拡大によって戦争に明け暮れていたことを考えると、この日本の(奇蹟)が示唆するところは大きい」

以下本文より抜粋 ●「現代において、歴史の流れが逝向きになれば、という思いを抱いている人は、ほかでもない歴史学老アーノルド・トインビーである。トインビーの見解によれば、人間は近代技術を乱用しかねない、信頼できない存在である。あたかもそれは、幼稚園児が機関銃で遊ぶのを安心してみていられないのと同じだ、と彼はいうのである。「もし過去三百年の技術進歩を後戻りさせることの是非について、多数決が可能ならば、多くの者が賛成票を投じるであろう。社会道徳が今日のごとく立ち遅れた状態にあるなかで、人類の生存を守りぬくために」

●徳川期日本の歴史的事実ほ、そうした悲観的見解と相反する。日本人ほ技術選択のコントロールを実行してみせた。日本人は兵器の発達を完全に止めた。いや後退さえさせたのである。同時にその間に、日本人は兵器分野以外の多方面にわたって前進をとげたのである。もとより、それはゆっくりとした歩みの前進でほあった。十七世紀から十九世紀の初期にかけての日本の技術変化ほ、西洋に比べると、まことにゆるやかに起こっていた。それほ人間の精神によりふさわしい速度で生じていた、と言ってさしつかえないであろう。徳川期日本に、急激な技術進歩の生むいわゆる「未来の衝撃」(フューチャー・ショック)は存在しなかった。しかし、技術の進歩それ自体ほ生みだされていたのである。だからといって日本、退廃の淵に沈んだのでも、停滞に淀んでいたわけでもない。もちろん、退廃と停滞の袋小路も、さがせば存在したに違いない。しかしそうしたものほ、どの時代、どの社会にもつきものである。徳川期の日本全体を見れば、そこには健全な生命力が息づいていたことが知られる。

戦争が耐えたことの無い世界。人類の生命と文明を完全に破壊できる膨大な大量破壊兵器。文明と引き換えに訪れた気候変動。ネット社会に於ける既存と未知の諸問題などなど、石器時代の脳のまま生きている我々の手に負えないであろうテクノロジーから生じる諸問題が、毎日のニュースから消えることが無い時代に、一考を促す内容でした。


2025年2月 5日 (水)

休日の映画 小劇場にて

連休の後半は映画館に。最近よく行く隣町の単館系シアター。小さいながら、スクリーンが3つあり、毎日沢山の作品がかかるので続け見もでき、気に入ってます。作品公開時期が、東京などより少し遅れたスケジュールなので、メディアでの紹介やレビューを見た後に興味持っても、ゆっくり鑑賞できるのでありがたいのです。頑張って生き残ってね。

この日続け見した2本目、ブータンの作品が面白かったので簡単なレビューを。少し前に同じパオ・チョニン・ドルジ監督が撮った処女作を見て気に入っていましたので、タイミング良く次作を見ることができて良かったです。
 
長くチベットの影響下にあったブータン。20世紀の初め、現王朝の下で王国となり現体制となりましたが、大きく変化したのが1972年に16歳の若さで即位した第4代国王の下での政策。GNH(Gross National Happiness・国民総幸福量)という、今や世界中で有名となった哲学を提唱し、独自の道を進んでいます。そんなブータンで、国王が行政権を手放し、民主制に移行する選挙を行い、国民のリーダーを選ぶことになった。さあどうする?というのが物語の下敷きです。
 
選挙の告知をするラジオ放送を、仏教の高僧が聞き、弟子に、鉄砲を2丁調達するようにという命令を出します。平和な国のお坊様が何故鉄砲を・・と言う疑問が解けないまま、いろいろなエピソートが起ります。敬愛される国王の下、GNHに沿って穏やかに幸せに暮らしてきた多くの国民。近年解禁されたテレビ放送とインターネットによって、価値観を多様化させている人びと。仏陀の教えに忠実に生きる仏門の人びと。西洋型マネー至上な人びと。そんなひとたちによって、鉄砲と選挙をめぐり、可笑しくも暖かく、そしてとても示唆に富むストーリーが展開されます。
 
「選挙とは、みんなが幸せになれるよう、リーダーを選ぶこと・・」という説明に。「私たちは国王陛下の下、いままでも幸せだった。なぜそんなことをするのか?」 う~む、胸に手を当ててしまいますね。そして、思い切り腑に落ちるストーリーの組み立てと、答えを用意してくれるラストは見事だと思いました。
 
前作「山の教室」は、ひたすら純真無垢を中心に据えてシンプルに描かれましたが、今回は変りゆくところと、そうでないところが絡み合い、ひねりの入ったストーリー。そしてやはり、日本人にはとても郷愁を誘われる、美しい自然風景と農耕地。ブータンの魅力120%味わえて大満足。エンドロールの終了に拍手差し上げたら、客席あちこちから追随する人も。みんな優しい気持ちになれたのだな~と確信しました。オススメです。
 
お坊さまと鉄砲 The Monk and the Gun 2023年ブータン・フランス・アメリカ・台湾合作

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2025年2月 3日 (月)

休日の小旅行2

前回の続き。富士山をお供に西伊豆の海岸を走ってきました。

Photo_5 戸田から北上する途中にある展望台から見下ろした海。逆光に光った水面と、漁船の影が面白い絵でした。

2ダイビングスポットとしても有名な、大瀬崎海岸。戸田と同じように、せり出した岬があり、外側からは富士山が近くに見えます。この頃は、季節風が随分強まって、立っているとよろけるほどでしたが、海が良い具合に波立ったので、写真としては面白くなりました。

Photo_7 大瀬崎を後に、岐路の途中。道路際の展望台から見える風景。手前の愛鷹山に重なる場所ですね。海の中にせり出しているのが大瀬崎。海+富士山もここでお別れでした。

半日のドライブでしたが、冬化粧をした富士山が堪能できました。また、ゆっくり訪れたいです。


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2025年2月 2日 (日)

休日の小旅行

お正月に営業する風林堂は、繁忙期を過ぎてからお休みを頂戴しています。今年の1月は、最終週に5日間休暇をいただき、小旅行に行ってきました。目的地は西伊豆。冬装備をしていないクルマでも雪の心配が無く、この時期でも比較的暖かいところです。今回は、堂ヶ島の旅館に一泊し、海沿いを走って、富士山を眺める旅になりました。

初日はあいにくのお天気で、西伊豆自慢の駿河湾に沈む夕日の絶景は見られませんでしたが、翌日は徐々に回復し、昼前くらいから、海越しの富士山が見えるようになりました。

Photo戸田漁港にせり出した岬の先、松原越しに見た富士山。山梨の湖からも綺麗ですが、清水育ちの私は、やはり海+松がしっくりきます。

Photo_2岬に囲まれた静かな湾、戸田漁港。午前中の日が射して海も光っていました。

Photo_3 同じ戸田漁港を、昨年末に購入した超広角レンズで撮ってみました。

Photo_4 道路沿いにある展望台から見た砂浜と富士。この上の2枚を撮ったのは、茶色に見える砂浜あたりです。

続きは次回に。


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2025年1月13日 (月)

米価格高止まりの理由

 昨年末の私的な回想で、24年産新米が出回った後にも、米価格が高止まりしている状況について書きました。新年になってから、一部スーパーやドラッグストアで、セール品として若干価格を抑えた設定の銘柄も見かけるようになりましたが、まだ23年夏以前と比べると、2倍からそれ以上の価格で販売されているようです。加工用米も、主食用ほどではないですが、高止まりしています。朝、せんべいを焼きながら毎日聴いている民放ラジオ局のニュース番組の特集で、これをテーマに語られていましたので、まとめてみました。

1)2023年の猛暑や少雨が影響し、米の生産量が減少した。このため、2024年の新米が出回り始めても、供給が需要に追いつかない状況が続いている。特に、新潟や秋田などの米どころでは収穫量が減少し、これが価格上昇の一因。

2)生産コストの上昇も大きな要因。肥料や燃料費が高騰し、これが新米の価格に転嫁されています。農林水産省によると、2024年の新米価格は前年に比べて1.5倍に達しているとされている。

3)流通業者間の競争も影響している。米不足の影響で、業者が農家から直接仕入れるケースが増え、市場での流通量が減少している。流通業者間の取り合いとなり、JAの統制が効かなくなっている。このため、店頭価格が高止まりしている状況が続いている。

4)コロナ禍からの需要回復も影響している。インバウンド需要が増え、加えて消費者の外食機会が増えていることで、外食業者の買入れ量がが急増している一方で、生産が追いついていないため、価格が高止まりしている。

5)南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を受けた買い込み。

6)流通業者が、多くの利益を得るため、流通量を控えめにし、高値で販売しようとする意図もあると見られる。

番組論者は、主食価格の高止まりは、消費に悪影響を及ぼすとして、政府備蓄米の放出等、価格抑制に乗り出すべきとの見解を示しましたが、現時点で、その動きはないとの見通しのようです。

生成AIに尋ねたところ、5)6)以外の回答は番組解説者と、ほぼ同じような回答が得られました。そのときのマインドマップです。Photo

一方で、今回の所謂「令和の米騒動」の根本的な原因は「減反(生産調整)」だ。とする解説もあります。

減反とは農家に補助金を与えてコメの供給を減らして米価を上げるものだ。2023年産米は作況指数101で平年作を上回っていた。品質低下なら価格は下がるはずだ。また毎月300万人の旅行者が日本に7日間滞在して日本人並みに食べたとしても、消費量は0.5%増に過ぎない。数年前から農業団体は農家にもっと生産を減らすように指導してきた。農林水産省としては目的通り米価を上昇させて満足していることだろう。今は水田の4割を減反して生産量を700万トン以下に抑えている。しかも余裕のない需給操作なので、今回のようにささいなことで価格は変動するというのが実態だろう。キャノングローバル研究所 研究主幹 山下一仁氏

日経新聞の記事によると、24年7月〜25年6月の需要見通しの674万だそうなので、確かに700万トンの生産では、需給がぎりぎりの均衡です。何か予期せぬ事態が起きれば、パニックによる不足感が出ることは、容易に想像されます。備蓄米とは、その時のためにあるはずなのに。


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国内の米需要推移(日本経済新聞資料より)

およそこんな論点のようです。アダム・スミスの経済思想「見えざる手」によって唱えられた自由な市場の重要性ですが、今回は失敗例に該当するかも知れません。あるいは、政府や農協の影響力で、リーズナブルだったかつての米価格は幻想で、今の価格が適正なのでしょうか? 25年度産新米収量が順調な見通しになれば、どこかで眠っている在庫米が流通し、価格が下がるかも知れません。あるいは、現時点の状況を鑑み、政府の農政が修正されるかも知れません。米製品の製造業者として、一消費者として、注視していきたいと思います。


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2025年1月10日 (金)

お世話になりました

 本年4月末で、直売店の営業を終了することに決めてから、近隣各所にお知らせを始めています。相模原市で店舗販売を始めてから、ずっとお世話になってきた「商工会議所」はその筆頭。私が、小田急相模原駅前の商店街に、30歳代前半に店舗を開いてから、いろいろサポートしてもらいました。開業当時は、経営や商店街活動のアドバイスを主に、今の場所に工場店舗と本社機能を移転してからは、会議所主催の各種経営セミナーへの参加。個別には経営コンサルタントの派遣サポート。最も大きな事業としては、上部組織の日商が行ってきた補助金事業では、三回に渡って採択されることができ、ホームページ製作や新商品開発。商品パンフレット製作等、小規模企業の自己資金では、なかなかハードルの高い事業に取り組むことが出来ました。コロナ禍にあっての、給付金や助成金申請の手伝いも受けました。開店当時に担当してくれ、懇意にしてきた所員の皆さんの多くは定年退職され、たまに事務局を訪問しても、知った顔は既にいなくなりましたが、閉店前には一度挨拶に出向こうと思っています。年度末3月までは、会員資格を有するとのことで、まだ会報が送られてきますが、もうじき終わりと思うと、一抹の寂しさがあります。

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手焼きせんべい処相模原風林堂のおせんべい日記

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