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2018年9月

2018年9月30日 (日)

夏の休暇 信濃 3

前回に続いて、旅先で撮った写真をアップします。

Photo宿を取ったのは、信州から越境し、岐阜県奥飛騨の温泉、新平湯温泉の小さな旅館。夜に降った雨が、朝には上がり、山間の斜面に朝霧が立っていました。

Photo_2翌日は、当初の目的地だった上高地に入りました。1500mの高地では、上着を1枚羽織りたくなる涼しさで、秋の気配が感じられました。

Photo_3河童橋から、少し登ったところに、ビジターセンターがあります。その脇に、左岸から流れ出ていると思われる小川があります。川底には、バイカモが群生し、緑のカーペットを敷き詰めたようです。
昔、通い詰めていた頃には、素通りしていた場所ですが、私も歳を重ね、少し視点が変わっのかなと感じます。

こうして、短い休暇を終えました。8月下旬の山は、写真のモチーフになる素材に乏しく、山稜にはずっとガスが張り付いたままでしたので、思ったような写真が撮れず少し残念でした。けれど、澄んだ空気と美味しい料理を満喫した2日間。暫し仕事から離れ、心をリフレッシュすることができました。

Photo_4初日に立ち寄った、原田泰治美術館で、自分たちへの土産に複製画を買い求めてきました。厳密には、絵ではなく印刷なのですが、十分楽しめそうです。四季で変えられるよう、4枚を揃えました。額も販売しいて、勧められましたが、どうも割高そうなのでお断りし、後日、地元の画材店で別途物色。気に入ったものが見つけられましたので、住まいの壁に飾ることにします。日々に少し潤いが出ればと思います。

2018年9月24日 (月)

夏の休暇 信濃 2

前回に続いて、旅先で撮った写真をアップします。

Photo_2 境内の正面には、本宮まで続く屋根付きの回廊がありました。歴史を感じさせる佇まい。

2_2 本宮の入り口にも、手水鉢が。こちらは苔むして、味わいのある雰囲気。

Photo_3 諏訪を後にして、次は松本の市街地へ。土蔵造りの街並み商店街の一角にあった、ガラス製品のお店。ショゥウインドウに並んだ器たちが、鮮やかでした。
フィルターで、写り混みを消すことも考えましたが、街路の雰囲気を醸すのに、残しました。

Photo_4 威風堂々、国宝松本城。写真としては、ありきたりの構図ですが、さすがの風格です。


次回に続きます。

2018年9月16日 (日)

夏の休暇 信濃

8月の最終週に、短い夏休みを頂戴しました。今年の夏は、全国的な猛暑で、風林堂の相模原市も例外ではありませんでした。特に、例年より随分早かった7月上旬の梅雨明け頃に続いた、35℃に迫る連日の猛暑には、火を使うおせんべい屋の仕事場には、かなり酷でした。真夏が2ヵ月というのは、体力を無くすには十分な長さで、暑さに強いと自負している私たちも、さすがにバテた夏でした。例年ですと、4日間の休暇の内、二泊三日の旅を楽しむのですが、今年はそれだけの気力が起きず、二日間を休養に充て、一泊二日の短い旅にしました。場所も、自動車で数時間で行ける、信州の真ん中あたり。ゆっくりのんびりの休暇です。

当初、初日に早立ちして、午前中から上高地を散策し、その日の午後越境し、奥飛騨の温泉旅館に泊るというプランを立てていましたが、あいにく、初日が雨模様だったので、予定を変更。上高地散策は、二日目に行くことにしました。

最初に訪れたのは、巨木を急峻な坂から滑り落とす奇祭で有名な、諏訪大社。歴史を感じさせる境内には、趣のあるモチーフが沢山ありました。

1
北参道の入り口近くにあった手水鉢。整然と列べられた手酌が、凛とした雰囲気です。

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神様に奉納するのでしょうか。境内には、土俵もしつらえてありました。

Photo_2
神楽殿にあった、一枚皮のものとしては、日本一の大きさと書かれていた大太鼓。


次回に続きます。

2018年9月10日 (月)

通信簿

風林堂の決算期は、6月末日です。約1ヵ月半後くらいに、決算書ができてきました。昨期の成績はと申しますと、3/4経過した3月末までは、前年を超える売上げと利益が出ていましたが、5月半ば、私が予期せぬ入院加療したことと、その後2週間あまりに渡って、Web受注を受け付けていなかったことが影響し、最後の3ヶ月間で成績を落としてしまいました。何とか黒字決算となりましたが、小規模企業の弱点が、露呈してしまった恰好ですね。今期は、1年間健康を維持して、経営状態も改善されるよう頑張ろうと思っています。

Photo

2018年9月 9日 (日)

防災とコスト

 昨日、今回の北海道で起きた大地震に関して、さる大学教授が、大きな災害が頻発する状況と、高度成長期に沢山作られた社会インフラが、老朽化を迎えていることを併せて、政府は、国土強靱化を至急に進める必要があり、その財源として、国債の大量発行に躊躇すべきでないという自説を話していました。災害に強い国土になることは、すべての日本人にとって利益になるので、未来の国民に費用負担してもらうことは、正しいという理屈でした。総理に進言しているとも言ってました。


 まあ、一理あるとは思いますが、現状を見てみれば、既に、国民の老若男女全員が、850万円超の借金を抱えている状況で、来年度の一般会計は、100兆円を超え、過去最大になる見込みだとか。(このうち、国債費24兆円台) 良く言われる、2025年問題、2040年問題を始め、政府が負担するコストは増加する一方であることを鑑みれば、将来のどの時点でも、国民の負担が減少すると、楽観できるとは思いません。更に大きな借金を積み増すことが、正当化されてよいのでしょうか?


 必要なら、惜しみなく使うという考え方は、政治的メッセージとしてのインパクトありますが、その後にくる負担増に、将来の日本人は耐えられるのでしょうか?年金、医療、介護の三大社会保養費に加え、子育て世代に対する補助も増やす方向であり、将来、これらの経費が減少することはないでしょう。各々の給付水準を下げ、自己負担を増やす方向に大きく舵を切れば、多少改善されるかもしれませんが、日本のように頻繁に選挙がある国では、負担増になる政策は、政治的に実現は不可能でしょう。財政収支の赤字体質が、将来もずっと続くことが既定路線になった場合、市場からどう見られるのか。政府の信用リスクは、日本に限っては、全く心配しなくてよいのでしょうか?財政規律という概念は、日本には無用のものなのでしょうか。その先に来るかもしれない、金融リスクが、国民生活や企業活動に及ぼす悪影響への心配は、不要なのでしょうか。(財務大臣はかつて、日本政府財政破綻の恐れについては、マスコミや旧大蔵省の煽りで、全く心配ないと言ってるので、大丈夫とは思いますが) しかしながら、足りなければ、借り入れでまかなえばよいという考え方に、国民が不安を抱いていることが、将来不安を呼び、ひいては低消費性向に繋がり、個人消費が拡大しない(経済拡大が鈍い)のではないのでしょうか。

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●平成30年度一般会計歳入と歳出の内訳

 財源の使い道として、災害対策やインフラの更新が必要なのであれば、バラマキと揶揄されるような、不急の予算を減らし、利権に巣くい、税金に群がるタックスイーターを駆逐し、無駄な支出を減らすことで、少しでも収支の均衡を目指すことが、前提であるべきと思いますが、どうなのでしょう。

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手焼きせんべい処相模原風林堂のおせんべい日記

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