なんちゃって映画感想文 Feed

2010年2月26日 (金)

フローズン・リバー

Frozenriver  各国の映画祭で高い評価を受けていながら、日本の配給会社が及び腰で、未公開の危機に瀕していたという作品だそうです。 よい作品イコール高興行成績に結び つかないところが、映画産業永遠のジレンマだと思いますが、劇場や配給会社には是非頑張っていただき、地味でも味わい深い作品を多く紹介してもらいたいと願 います。

 セントローレンス川に面し、カナダとの国境を接する米国最北端の小さな町。そこに住む男の子二人の母親。非正規労働者として僅かの時給で働きながら、新しい家を買うことを夢見ているが、夫にその大切な金を持ち逃げされる。その悲しみの底から、ストーリーは出発します。 もう一人、先住民保留地に暮らす、「モホーク族」未亡人の女、若くして夫に先立たれ、経済力の無い彼女は、1才の息子を夫の舅に奪われている。 この二人が主役です。 

  成り行きで、関わりを持つことになる二人ですが、それぞれの心に巣くういらだちや、人間不信、根深い人種偏見などから当初は反目しあっています。 その関わりとは、 凍った河を秘密裏に渡り、カナダからアメリカへの不法入国者を運ぶことでした。 資本主義社会底辺に生きる女が、必然のように犯罪者に身を落として行きます。しかし、その姿を見て嫌悪感を覚えるものはいないのではないでしょうか。それは、女が母として生き抜くための術をぎりぎりの状況で選択することへの共感からだろうと思います。

  その日の昼食代を、手持ちの小銭を何とか集めて手渡す母親と、受け取る息子のやり取り。無邪気な5才の次男と、半分大人になりかけて、あぶないアルバイトに手を染める15才の長男。職場で冷遇され、苦悩する母の姿を見つめる二人の目が対照的で、アメリカ社会の負の現実がリアルに伝わってきます。 そして、化粧っ化のない、生活に疲れたシワの多い顔のアップや、けっして美しいとは言えない下着姿などが画面に頻繁に登場する母親レイを演じたメリッサ・レオ。 セリフの少ない役どころながら、その演技からは微妙な心の動きが伝わって見事です。  

  やがて、不法ビジネスを重ねる二人に転機が訪れます。 中東の夫婦を運んだ際に起きる予期せぬ出来事から、それまで反目しあっていた二人の心が、微妙に変わり始め ます。それは、お互いの母親としての共感からですが、迫り来るクライマックスへの布石となります。 所行が当局の知るところとなり、犯罪者として負われる身となる二人、その後の人生を左右するであろう究極の選択を迫られる事態が・・・。 先住民問題を絡めたアメリカ社会の複雑さと閉塞を、シンプル且つ如実に表していて、スリリングで且つ心に浸る結末が訪れます。

 「凍った河」に象徴される、冷たい現実と深い溝。 全編寒々しいトーンの映像が、エンドシークエンスでは、少し春を思わせる明るい光でしめくくられ、ほとんど笑わなかったモホーク族ライラが、我が子を抱きながら見せる笑顔と共に希望を予感させ暖かさがただよい、静かな感動で満たされます。

2010/02/13 渋谷シネマライズにて 

2009年12月17日 (木)

戦場でワルツを

先週末、旧友何人かと集まる機会があり、その久々の東京詣でのついでに、銀座でイスラエルの映画を観て参りました。 銀座4丁目角、和光の裏手にある老舗の劇場「シネスイッチ銀座」です。Waltz_1_1b

 原題は、"WALTZ WITH BASHIR" 「バシールとワルツを」 。バシールとはバシール・ジェマイエルという人物のことで、詳細につてはWikipediaにもまだ記載がありませんが、この映画の特徴的なシーンにその容貌が大きなポスターで観られます。既に故人ですが、そのことがこの映画の背景にあります。

 アリ・フォルマン監督・脚本による、自身が従軍した1982年のレバノン内戦の記憶を探るという手法。シュールな色彩、大胆且つ特徴的なアニメーションで作られた、ドキュメンタリー作品でした。右の告知チラシからもご覧頂けると思います。アニメーションで、且つドキュメンタリーという、普通では相容れない手法が斬新です。

 "サブラ・シャティーラの虐殺" "PTSD=心的外傷後ストレス障害"が、ストーリーの骨になります。この20年以上前のレバノン内戦について、詳しい方はあまり多くないと思いますが、私自身も勿論そうでした。 少し知識を仕込んでから鑑賞すべきだったと少し後悔しています。

 中東や中央アジア、アフリカ各地で今も続く戦争状態、安穏とした私たちの日常と同時進行で殺戮が起きていることに、日々いかに無関心であるか、戦争をテーマにした作品を観るたびに思い知らされます。 WALTZ

 新兵として前線に送られた若者が、恐怖のあまり際限なく機関銃を乱射しながら進軍する場面や、今まで軽口を聴いていた先輩兵が、たった一発の銃弾で、生物から、ただのモノになってしまう場面など、無表情なアニメーション帰還者の口から語られる戦場のリアリティーが痛々しく感じられます。

 作品中で語られるエピソードにこんな部分があります。 「あるアマチュアカメラマンが戦場で撮影をしていた。戦闘状態にもかかわらず彼は嬉々としてそれを撮影し、興奮していた。あるときカメラが壊れ、ファインダー越しに戦場を観ることが出来なくなった彼は、突然恐怖に襲われたという・・」。 遠く傍観者でしかあり得ないながら、時として訳知り顔で語る私たちに、その不遜さを責められているとも受けとられる部分かも知れません。

  そして衝撃的なラストの数分間、私は息を止めていたかもしれません。 それまで、で描かれていたアニメーションのデフォルメ映像が、いきなり大転換します。 傍観者であった私たちが、その刹那戦場に連れて行かれたかのような錯覚を覚えます。 これこそ、作者の意図だったのだろうと思います。虐殺を正当化する理由はどこにも存在しません。 今年、米国大統領ノーベル平和賞受賞演説で、戦争の必要性に言及したのが記憶に新しいですが、結果が何をもたらすか、こんな作品から感じ取ってもらいたい気がします。    

 滅多に求めることのない作品のプログラムを、今回は買い求めました。師走の夕暮れ時、華やかに彩られた世界一の繁華街、銀座4丁目~数寄屋橋間、通り沿いの風景。数分前目にした廃墟の映像とのギャップが、小さなトゲのように心に刺さりました。

2009年10月24日 (土)

「南極料理人」

Photo_2 久しぶりの映画感想文です。
 
 海上保安庁勤務から南極ドームふじ基地隊のコックとして派遣された主人公、西村淳のエッセイ「面白南極料理人」を映画化 堺雅人が演じています。真夏に公開された日本映画ですが、文化系オヤジ達の閉鎖空間におけるオモシロ哀しき長期合宿風景描写・・といった感じの作品です。

 冒頭のネタで、いきなり「プッ!」と吹き出してしまい、そこから始まる20分ほどで、極寒南極の、更に寒い高地でおっさんばかりの面子が繰り広げる不思議世界がおよそ解る作りになっています。 

 範囲が極めて限定された舞台設定の中で、隊員個々の人間観察がストーリーの基本となりますが、過酷な環境の厳しさ、大自然のダイナミックさをあえて描かない、過剰な感動を描かない・・むしろ淡々としていて、ほのかなユーモアを交えた日常描写が、日本人のメンタリティーをリアルに表現していて、うまいなあと感じました。

 若い隊員が、日本に残してきた恋人の気持ちを繋ぎ止めておこうと、夜な夜な高額の通信料がかかる遠距離電話で会話をするナイーブさには、草食系男子の悲哀が満ちていて、お約束の顛末もなかなか泣かせます。 西村が調理をボイコット「ふて寝」し、他の隊員が作るまずい料理に涙するシーン、物語のクライマックスともとれる手打ちラーメンのシーン、衛星通信でのフジ基地と日本とのやり取りの場面、どれも非常によくできていて、「平凡に思える毎日だけど、ちょっとした小さな出来事に幸せを感じたり、躓きにも意味があったり、その繰り返しで少しずつ歩むのが人生なんだよ・・」という作り手のメッセージが聞こえてきそそうです。

 西村によって饗される日々の食事は、その限定された材料にもかかわらずどれも凄く旨そうで、料理の見せ方にこだわった映像の作り手の狙いが成功していると思います。 そして、閉鎖空間の運動不足が容易に想像される環境で、毎日こんなものを食べていたら、私などは確実にメタボ一直線になってしまうだろうなぁ・・などと妙な不安を抱いてしまいました。

 任務を終え、帰国する隊員達とを迎える人々と、その後の西村一家を少しだけ描く気持ちのいいエンドシーンが、鑑賞後の爽快感に繋がる良作だと思います。商業映画デビューの沖田修一監督、次回作が楽しみです。


at 109シネマズMM21

2009年6月13日 (土)

路上のソリスト

Thesoloist  とても有能ではあるが俗っぽい価値観を持つ、新聞の人気コラムニスト。 その境遇を背景に心を病み、世俗を拒絶した生き方をする孤高の天才音楽家。この2人の友情、音楽という芸術、二つの無形を映像によって表現しようとした作品だと思う。

 全編にちりばめられた、ベートーヴェン作品の音楽に重なる映像は、合衆国第2の大都会LAを映したものとは思えない透明感と神々しさに満ちている。
 また、クラシック音楽とはおよそ対極にあるような、トンネル内に響き渡る自動車の騒音や、街の雑沓が生み出す音と音楽を重ねて見せたセンスも素晴らしい。
 ハイライトは、ナサニエルが「英雄」のリハーサルを前に見せる恍惚の表情に迫るカメラと、サイケとも受け止められる映像表現だ。作品中『恩寵』と表現された、才に恵まれた者のみが理解できる、深い芸術性を表現しようと試みた意欲が伺える。

  もう一つの無形。 人としての純粋な友情の下に、職業文筆家として、ホームレス天才音楽家のサクセスストーリーを演出するという計算が透けて見えるス ティーブの言動。その友情に感謝しつつも、敷かれた社会復帰へのレールを拒否するナサニエル。彼の反応を通し、人の心の間にある距離感の微妙さを見せてく れる。
 「THE SOLOIST」という、定冠詞のついた原題にも天才音楽家の孤高と、世俗に縛られない自由な心の内を表わしているのかも知れない。 また、スティーブの 行動に対し、同じジャーナリストでもある元妻が、酒に酔って辛辣な皮肉をぶつけるシーンは、アメリカ映画らしいところだ。

 実話を元に、超大国の大都会にある病巣をもあぶり出しながら、過剰なドラマチックさを控えたジョー・ライト監督の演出と、主役2人の迫真演技が素晴らしい。

09/6/10 シャンテシネにて

2009年5月30日 (土)

スラムドッグ$ミリオネア

Slumdog  今年のアカデミー作品賞含む最多8部門を受賞した作品。 既に評価の定まった作品なので、その魅力を伝える言葉は、既に語り尽くされていると思うが、確かにオスカーの名に恥じない素晴らしいエンターテインメント作品だと思う。 インド・ムンバイ、スラム出身の若者が織りなす極上の青春ラブストーリーだ。

 おなじみのクイズショーを題材に、主人公が発する答えと、警察署での尋問、そして彼の人生をシンクロさせて見せるという構成は原作の手法だというが、ダニー・ボイル監督の手による巧みな映像化によって、見事に大成功していると思う。 

  現代日本のフツー階層に暮らす我々には想像することさえさえ難しい、インドの貧困の現実と、その底辺で生き抜いてきた、主人公と兄の生い立ちが描かれる前半シー ンのスピード感とダイナミックさには圧倒される。 あるときは警備員やギャングに追われ、スラムを走り回り、また、母親の死後孤児となった彼らが、旅客列車を生きる糧としたり、インチキ観光ガイドになったりと、自分自身の機知のみを頼りにたくましく生き続けるジャマールとサリーム。 悲惨な境遇とは裏腹に、生命力に溢れ、屈託無く笑って過ごす彼らがたまらなく魅力的だ。 そして、彼らと同じ境遇の子供達を食い物にする、醜い大人の存在。 アジアの影の部分にも切り 込んで見せる。

 後半では、青年になり違う道を歩み始め、対照的な生き方を選ぶ兄弟の姿、高層ビル群が林立し、西欧の夜間コールセンターと化している、IT先進国インドの今、そして、ジャマールの明晰さと、ラティカへの変わらぬ純愛が披露される。 そして、スリリングなクライマックス。

  想像してみよう。 例えば、舞台を別の国に設定しても、物語の幹「恵まれない生い立ちにもかかわらず、困難に打ち勝ち、成功を手にする主人公の生き様。」 は、形を変えて成立するかもしれない。 しかし、彼がクイズの答えを知り得た背景描写、そして何より、作品全体が醸し出す、めまいのするようなライヴ感、 万華鏡を覗くような不思議感は、ダイナミックに変容しているインドの「今」でなければ描けなかっただろう。 大団円のエンディングダンスシーンを含め、最後までインドの懐の深さを体感できる、満足度100%のオススメ作品だ。

  最後に一点、もし本作がオスカー受賞作でなかったら、日本で大きい注目を集めたか どうか、あるいは公開されたかどうかさえ、懐疑的な印象も持った。 決して華がある作品という訳ではない、出演者にビッグネームのひとつもない、SFXもない、し かし、映画の楽しみが凝縮されたこの作品の冠無しでのヒットがあり得たか・・。 GW最終日のシネコン、満席のシアターでの鑑賞後、少し考えを巡らせながらの家路だった。

2009/5/6 TOHOシネマズ海老名にて

2009年4月20日 (月)

「チェンジリング」

Changeling  チェンジリングという題名は「妖精のいたずらによって自分の子供が醜い子供に取り替えられる」というヨーロッパ伝承に基づくとのこと。

 1920年代 ロサンゼルスで起きた事件、実話をベースに、ここまで完成された素晴らしい作品を作り上げたイーストウッド監督と出演者、スタッフに立ち上がって拍手を送りましょう。

サスペンスを基調に、人権、猟奇殺人と法廷と刑罰、警察腐敗と告発など、数々の社会派の要素もちりばめながら、それらを腕のいいシェフが上質に料理し、最高の娯楽作品に仕上がっています。

  最愛の息子を誘拐され、悲嘆に暮れるクリスティ(アンジー)。 一方、その堕落ぶりを常々市民から批判を受けていたロス市警は、これを名誉回復の宣伝好機と捉え、 行方不明の子供を保護したとして、本物とは違う別の子供を彼女に押しつけてしまう。母として当然納得できない彼女は、警察批判を行う。 すると、犯罪被害 者として守られるべき存在であるにもかかわらす、今度は警察当局に疎まれ、当局の息の掛かった精神病院に強制収容されてしまう。 

 このあたりまでが前半の大筋ですが、あまりに可哀相なクリスティと、あまりに横暴なロス市警の態度、おぞましい精神病院の描写に観客のフラストレーションは最高値に達します。 

  続く後半、マルコヴィッチ扮する人権派の教会牧師、、良心的な刑事、市警の怠慢を糾弾する辣腕弁護士等々の登場、そして誘拐犯の正体が明らかになり、追い詰められることによって、事態は急速に好 転、締め付けられるような抑圧感は次第にリリースされて行きます。 エンターテインメントのツボと、観客の心理を熟知した見事な構成ではないでしょうか。 そして、穏やかで、ほんのりとした暖かさを感じる素晴らしいエンディング、もう最高の満腹感です。

  私にとっては、早くも今年1~2を争う満足作品となりました。 良い映画作品に共通ですが、このイーストウッド作品も、登場人物それぞれのキャスティング、人物設定に深みがあり、作品全体の締まりに繋がっていると思います。 PG-12指定されていて、ややショッキングなシーンもありますが、時代考証の観点 から、肯定的に捉えたいと思います。

 本作は「ゴードン・ノースコット事件」という当時の有名な連続殺人事件が重要な背景になっています。  そのことを事前に知っていたら、サスペンスとしての楽しみがやや削がれたかなという印象ですが、私自身は幸いにも、事件と作品との関わりについては知らなかったので十二分に楽しめました。 鑑賞前の予備知識を余り持たない主義がいい方に当たった形です。

  イーストウッド作品は、監督・主演作が間もなく公開を控えているので、益々期待が高まります。

2009年3月27日 (金)

「マンマ・ミーア!」

Mammamiajpg 世界10カ国で上演され、現在も人気を博し続けているミュージカルの映画化作品。

  ABBAのヒット曲22曲で構成される、ジュークボックス・ミュージカルあるいはカタログ・ミュージカルとも・・。 ミュージカルの舞台は、あまり得意ではないのですが、これは一度見てみたいと思っていました。 日本では「劇団四季」がロングラン公演を続けていましたが、芸能関係の友人の話では、同劇団は、多分全編日本語翻訳で上演するのだろうとのこと。 とすると、原曲のイメージが損われてしまうかな?などと勝手な思いこみで、二の足を踏んでいました。 だって、あのヒット曲達が「金・金・金」とか「ちょーだい・ ちょーだい・ちょーだい」みたいに歌われたらねぇ~。・・・なんて心配は無論必要ないでしょうけれど(笑)
 「四季」およびファンの皆様にケンカを売る気はございませんのでご容赦下さいm(_ _)m

 さて本題、なにしろ底抜けに明るく楽しい! 今なお愛され続ける'70s~'80sスーパースターの、色褪せない代表曲が全編にちりばめられ、エーゲ海に浮かぶ楽園のような島のロケーションとの相乗効果で、かつてオンタイムでABBAの曲を楽しんだ人でなくとも、 自然と踊り出したくなるのではないでしょうか。

 ヒロインのきらめくような若さとチャーミングさもさることながら 、ベッドで飛び跳ね、海に飛び込み、歌い踊る母親ドナ、メリル・ストリープが文句なく素敵です。 そしてドナを含む熟年おばさんトリオが、奔放なティーンエイジャーに戻ったようにエネルギッシュに歌い踊る姿には、一部“ドン引き”される方もいるとは思いますが、私は苦笑しながらも、不思議な元気をもらえました。 予告編で紹介されている、「ダンシング・クィーン」をバックに大勢の大人達が踊る前半のハイライトはもとより、黄昏の海と、教会へ続く岩場道のイルミネーションを背景にドナが歌う「ウィ ナー」、月夜に小舟でこぎ出す若い二人を見送る母と3人の父親。モノトーンの美しい画に流れる「I have a dream」しっとりとしたこれらのシーンもオススメです。

  新婦が結婚式前日に、まだ見ぬ父親候補3人を招いて、本当の父親を確かめようとする。 ストーリー設定のアイデアが抜群なのに、後半はハチャメチャな展開になってしまうのはいかがなものかなという気がしないではありませんが、ハッピーを絵に描いたようなこの作品は、細部(?)には敢えて眼をつぶり、上質の ミュージックビデオクリップを見るごとく楽しむのが、正しい鑑賞法なのかもしれません。

 ABBAのビヨルン&ベニーがカメオ出演しているシーンもありますので、一瞬しか見えなかったそのシーンをしっかり確認するためにも、もう一度見てみたいですね。

オマケ : 「ままみあ、ひあごーあげーん。まい、まい、はうあきゃれじすちゅー」この曲をライブで聴く際、オーディエンスが行うべき正しい振り付けは、ぐーに握った両手の人差し指を上に向け、交互に空を“ツンツン”します。 このとき気をつけなければいけないのは、決して中指を立て、手の甲を相手に向けて行ってはいけないということです。

MOVIX橋本にて

2009年2月25日 (水)

チェ 39歳別れの手紙

Che39_1_1b 革命家の生き様死に様、過酷なゲリラ戦に息が詰まりそうに・・

 世界中注視の元、国連議場での演説シーン、前作で描か れ、生涯で最も注目された時期から数年後、再び革命闘争に身を投じ、その生涯を閉じるまでの1年余りを描いた今作は、深く胸を打たれた作品でした。 今、 顧みてみると、前作はこのPart2を見せるためのプロローグであったと位置づけてもいいのかも知れません。

 一歩ひいた視線で撮られ、ド キュメンタリー色が濃く、突き放した印象の前作「28歳の革命」と打って変わり、ハンディカメラを駆使し、ゲバラ自身、あるいはゲリラ戦士の目線にいるよう な映像は、臨場感に満ち、あたかも自分が過酷なゲリラ戦を体感しているようです。 戦闘シーンも多く、彼の伝記的な側面だけでなく、普通のドラマとしても 十分に楽しめると思います。

 そして、今までほとんど知らずに過ごしてきた、革命家チェ・ゲバラという人物の生き様、死に様を、今初めて驚きと敬意を持って眼にしました。 劇中で語られる、彼の言葉のすべてが真実であり、一つ一つが重く迫ってきます。 

 キューバ革命後、政府の要職に就きながら、そのあまりの理想主義ゆえ、周囲から疎まれたというカリスマが、政治の舞台を捨て、妥協を許す余地のない究極の「仕事場」戦場に再び戻っていったのは、 必然だったのかもしれません。 che1.jpg

  史実により周知の通り、この闘争は失敗に終わり、ゲバラ自信も処刑されるのですが、組織の小さなほころびや、現政権と米国による軍事、情報両面からのゲリ ラ掃討作戦により、追い詰められ敗走する過程で、あるいは、捕らえられ、処刑を待つ僅かな時間の中で、皮肉にも彼のリーダーとしての資質が最も輝きを放っ ていたように受け止められました。 

圧倒的に不利な状況でも、最後まで革命の成功を信じていたのでしょうか?  古ぼけた小屋の中で銃口 を向けられ、絶命する瞬間の目線の先には、何を見ていたのでしょうか?  もしも今、彼が存命だったら、イデオロギー対立は既に過去のものとなり、グロー バリズムの名の下、市場経済最優先の結果躓き、混迷を深める今の世界をどう見るのでしょうか? 硬派な作品を見終わっての素直な感想です。

at MOVIX橋本

2009年2月14日 (土)

チェ 28歳の革命

Che28_1_1b 武装革命闘争のリアリティは十分伝わるのだが・・

没後40年以上経過してもなお、絶大な人気を誇る社会主義革命家チェ・ゲバラの若き日の闘争を描いた作品。

 ドキュメンタリーに徹したような作風には、賛否があると思います。

 映画作品に、ストレートで深い感動を求める観客には多分受けない作りではないでしょうか。有り体に言えば、盛り上がりが無いのです。
 カストロ運命的な出会いをし、武装闘争に身を投じる決意をしたとされるシーンも、あまりにも淡々と描かれ、高揚感のようなものは感じられません。

 当初は軍医として同行しながら、そのカリスマ性から次第に人心を掌握し、反乱軍ナンバー2に上り詰めたという人物像が、さほど魅力的に描かれているとも思えませんでしたが、その辺は作り手の意図なのでしょうか?

 決して嫌いなテイストの作品ではないのですが、リアリティとドラマ性をもう少しうまくブレンドしてもらったほうが、より楽しめたかもしれません。

 革命後は、指導者として要職につきながらその地位を離れ、その後再び革命闘争に身を投じたという後半生を描いた続作品に期待したいです。


at MOVIX橋本

2009年1月31日 (土)

「ワールド・オブ・ライズ」

World_lies_1_1b ◆ Body of Lies が原題。 中東を舞台にした対テロ情報戦がテーマの、9.11以降のアメリカにとって最大の政治的、軍事的脅威を背景にしたサスペンス調のドラマです。作品冒頭のクレジットに書かれたように、ドキュメンタリーとフィクションの中間に位置するような仕上がりになっています。

冷戦終結後 、その存在感が薄れていると言われてきたCIAが、新たな驚異「イスラム原理主義過激組織」の登場により、皮肉にもその活躍の場が再びクローズアップされ、このような作品が多く生まれることになっているわけですね。

ス トーリーの大筋展開に、特に目新しさは感じません。 かつてのスパイ映画や、最近の中東もの対イスラム過激派をテーマにした作品をご覧になっている方な ら、どこかで見たことある展開だなと感じられるでしょう。

  しかし、現地のエージェントが、敏腕ぶりを発揮し敵との情報戦に挑み、やがて陥る危機一髪の状況 を、米本国の指揮官と第三国ヨルダン情報局のトップが入り乱れて結末へと進んで行く過程は、とてもスリリングで楽しめました。 リドリー・スコット監督の 手腕なのでしょう、そのリアルさが抜群で、今現在、中東のどこかで起きている状況を疑似体験しているような気分にさせられました。 ホフマンが、ハイテク を駆使し冷徹な作戦を仕掛けながら、その過剰とも見える自信が、正反対の作戦を遂行するヨルダンのハニによって見事に覆される設定は、唯我独尊をひた走っ てきた現代アメリカの状況をイメージして作られたのかも知れません。

さて、作品広告のキャッチコピーにツッコミをひとつ。インターネットを筆頭に情報源と価値観が多様化する中、最後まで二元的な物言いを続けた前米国大統領じゃあるまいし、「アメリカの敵は世界の敵」のようなステレオタイプのコピーはアナクロ過ぎて、作品のリアリズムが泣きます。 キリスト教文化が染みこんだ西欧文明だけが救うべき世界ではありません。 世界中がイスラムと敵対している訳ではないぞ・・・と。

at MOVIX橋本
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