長期療養しました
4月の半ばくらいから、左目に違和感を感じていました。所謂、飛蚊症と言われるような症状で、細かくて黒い斑点が視野の中に現れました。症状は以前からありましたので、最初はあまり気にして居ませんでしたが、次第にその数と大きさが増えてきたのと、ある時期から、視野の右下が見えにくくなって来るのにも気づきました。年度替わりの忙しさが一段落したら受診しようと考えていましたので。連休明けを待って、地元の眼科を訪れ、検査してもらったところ、左目網膜が剥離しているので、すぐ大きい病院を受診するようにと、紹介状を渡されました。出来ればすぐに手術をするように、それはタイミングを見てということではなく、可能な限り早くというアドバイスも添えられていました。どうやら、抜き差しならない状況らしいことが察しられます。
その時点で、月末までに納品のご予約を数件受けていたので、即入院という事態を想定し、帰宅してから、妻とふたり深夜までかかって、それらを仕上げ、その他出来る限りの仕事もこなしました。あまりにも時間が少なかったので、万全とはいきませんが、その時点ではある程度のめどを付けられて幸いでした。
翌朝、近くにある大学病院の眼科を受診し、諸々の検査を経て、夕方に結果がでると、やはり、その場で入院手続き、翌日の手術を勧められました。帰宅という選択肢もありましたが、症状が悪化する懸念を伝えられましたので、最悪の事態を避けるため、担当医の助言に従うことにしました。
幸い、翌日が、週に2日設定されている手術日だったため、緊急にスケジュールに入れてもらい、15時頃には無事終了することができました。片眼だけの局所麻酔で受ける手術は、事前には、少し怖くて緊張していましたが、いざ臨んでみますと、もともと強い近視なのと、瞳孔が薬品で大きく開かれているので、目の前の様子は全く見えず、始まりますよという看護師さんの声が聞こえたあとも、何やら目がくにゃくにゃいじられているなという感覚があるだけで、さほどの違和感などは感じることなく、気づくと、少しうとうとしていたりすることも。手術室には、ポップな音楽がBGとして流れていたりするのも、患者の緊張を和らげる配慮もあるのかなぁ~などと感じます。そうして、1時間半くらいの手術を無事終えましたが、大変なのはそれからでした。
●手首に巻かれた2本のバンド。緑色のは眼球に医療用ガスが入っているという警告。
剥離した網膜を固定するため、眼球の中に医療用のガスを注入し、患部を抑えるという措置が取られます。ガスが眼球の中で患部(目の奥側)に当るようにするは、うつぶせ状態を維持しなくてはなりません。それは、何と24時間2週間の長きに渡るのです。考えただけで気が滅入ってきましたが、快癒のためには致し方ありません。日中は、テーブルに枕を置き、おでこを付けた姿勢で下向き状態。夜間は、胸とおでこに枕やマットを当て、鼻と口が開くような姿勢でうつ伏せ寝。就寝中に寝返りを打って、体位が変わってしまうと、見回りに来た看護師さんに起こされ、元に戻るように注意されます。手術翌朝には、肩や背中がこわばりつらくなってきました。げんなりしながらも、医師の言いつけを守って、食事とトイレで立つ以外は、極力下を向いて過ごし、3日目の夜を過ぎた頃には、どうにかこの状態に少し慣れてきて、苦痛も若干和らいてきます。ただ、目が使えない状態で1日を過ごすというのが、こんなに退屈なことだとは、予想以上でした。おそらく、今までの人生で、時の経過を最も遅く感じた期間を過ごしたのでは無いかと思います。
●入院中は、患部を保護するため、金属の眼帯を貼付けられました。
入院中にありがたかったのは、スマートフォンを使って、会社とやり取りができたことです。メールの履歴や取引先の一覧などは手元のスマホにありますので、やり残した仕事の指示を出すことができます。目を使うことは避けるように指示され、書物やテレビは禁止されていましたので、スマホ操作も、本当は避けるべきなのでしょうけれど、最低限のことをしないわけにはいきませんので、若干のリスクを取ることにしたのです。こうして、仕事の危機も何とか乗り切ることができ、1週間の入院の後、最後の検査で、順調な経過を確認し、無事退院することができました。その後は、自宅でのうつ伏せ安静を経て、少しずつ日常に戻ることができています。
●毎日、3時間おきに6種の点眼薬を使いました。5分おきに差すので、これだけで30分近くかかります。
忙しい時期に感じた違和感で、すぐに受診していたなら、入院という措置に至らなかったのか。あるいは、その時期に即入院という事態になっていたなら、到底対応しきれない仕事を残してしまうことになり、悩むことになったかもしれません。過ぎてしまったことなので、どちらがベターだったのか、今となっては検証することができませんが、リスク管理という側面からは、今後に課題を残したのは確かですので、これからの糧にすべきと捉えています。
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