2025年8月 9日 (土)

閉店3ヶ月

風林堂のお店を閉じ、ほぼ同時期、お取引くださった主立った事業者さまとのビジネスも無くなり、仕事量がかなり減ってからおよそ三ヵ月が過ぎました。それまでは、週に5日以上おせんべいを製造し、6日間店を開け、まとまった休みは8月と1月の末に少しだけ頂戴し、多くの小規模事業者がそうであるように、休日にも半分くらいは仕事に割くことが多く、言わば●●暇無し生活を長く続けてきました。生活がほぼ仕事中心に回っていたといっても過言ではありません。現役の皆さん同じと思いますが、朝になると(夜の方もいるでしょうけど)その日の仕事スケジュールに沿って動き始め、合間に仕事以外の身体や生活の維持に必要な事柄をこなし、自由になる時間にはたまに息抜きをしてという生活パターンを長く続けてきました。そんな毎日が、4月30日に終わり、5月以降、製造に携わるのが週に2~3日。残りは、比較的自由に時間を使えるようになりました。

定年退職された皆様も同様かと思いますが、仕事の無い一日というのは、自由なようでなかなか戸惑いの多い日々です。休まず働いていた頃には、もっと休みがあったら、あれもこれも出来るのに・・と望んでいたはずなので、その渇望感は意外にも少なく、少し持て余す時間が増えてしまい、貴重な時間を、何だか無駄にしているのではないかと焦る気持ちも起っています。幸い、好きな映画を見て、同好の士と談義を交したり、写真撮影に行って、SNSやブログで公開し、感想を頂戴したりというのは楽しく、生活のアクセントになっているのは間違いなところです。ただ、それらを仕事の代わりに打ち込めるかというと、なかなかそうはいかないのが現実です。今年末から来年にかけて、完全リタイアの計画もあり、それまでにもう少しポジティブな毎日が送れるよう、何か考えていくのが吉かと思っているところです。

私は、父が創業したおせんべい屋の後継になると早い時期に決めていましたので、大学卒業時の就活苦労を知らず、組織で働く多くの皆様と違って、人間関係で悩むことも少なく、取り組むべき仕事の目標が定まっていましたので、恵まれた仕事生活だったと振り返っています。昭和の後半、日本のGDP(当時の指標はGNP)は世界2位で、『ジャパンアズナンバーワン』がベストセラーになった時代。日本全体に勢いがあり、やがて「24時間働けますか」がもてはやされることになるバブル景気前夜で、求人倍率が高く、学生にとっては「売り手市場」でしたから、多くの若者が、とりあえず大学卒の肩書きがあれば、就職はでできた時期だったかと思います。そんな時代の空気もあり、私自身ものんびりして自由な学生生活を送り、得がたい経験も出来たことに感謝するのですが、勿論そんな時代に合っても、取組みや意識によって成果や結果に差が付くのは当然で、リタイア時期になった今となって、実感を持って受け止められるところです。私自身も、稚拙ではあったでしょうが、自己研鑽は怠らなかったと多少の自負は持っています。

社会人として組織に属し競争社会を生き抜いてきたた皆さんには、新卒時やその後の仕事に於いて、自分自身の強みとその根拠、会社への貢献能力などを顧みたり分析したりする必要があったかと思いますが、自己分析に取り組む機会が少なかった自分には、アピールできるどのようなアドバンテージがあるのだろうかと振り返ってみたとき、いささか寂しい思いがあります。基本文系なので、中高生時代に、国語や社会科はずっと高得点を取ってきましたが、特に高校以後の理数は及第点を取るのがやっと。大学は勿論文系学部を選択しましたので、現代社会に求められる理数スキルには、ほぼ到達しないだろうと思います。一方、こうして雑文を書いたり、本や映画の感想文を書くのは好きですし、趣味の写真撮影は、中級の上くらいまでは進歩した手応えは感じています。ただ、これら好きなことがマネタライズに繋がるかというと、おそらくノーだと思います。このような分野では、特に秀でた一部の人だけが成功できる言わば狭き門を通り抜ける能力と運が必要。そういう一か八かに人生を賭ける選択はなかなかできません。

一方、会社業務各所に目配りしながらの舵取り、少しの個性を発揮して市場にポジションを得ていくというような、小規模企業経営者として最低必要な能力はあったかもしれませんんが、会社をどんどん成長させるほどの能力には乏しく、またそのような道を選ぶというのも性に合っていなかったような気もします。もしかしたら、経営者より専門職に向いていたのかも知れません。また、企業経営者に求められる資質として、かつて。1990年代初めくらいまでは、アイデアを生み出すことができる経営者(または経営陣)が優れているとされていましたが、今では、そのような人材をマネジメントできることが最も求められる資質だと聞いたことがあります。そのような視線からは、私は過去タイプの経営者だと思いました。

このように、言わば、器用貧乏で大した取柄も無い私が、曲がりなりにも30年以上会社を維持できたのは、唯一「目標達成能力」を備えていたからではないかと思っているところです。カッコ良く言うと「Grit(グリット)」でしょうか。アメリカの学者が提唱した概念で、「やり抜く力」と訳されます。これは単なる粘り強さだけでなく、情熱(Passion)と粘り強さ(Perseverance)の両方を合わせたものと言われています。この概念を知ったとき、もしかしたら自分にも少し備わった力なのかもと意識したのを覚えています。昭和以前の日本で主流だった、精神論に基にする、嫌いなことでも「歯を食いしばって頑張る根性」とは異なり、自分の好きな分野で興味を失わず、目標達成に向け努力し続ける力だそうです。短期的長期的な目標を立て、その達成のために、状況分析と道筋の設定。必要なリソースの調達。個人事業主や小規模企業に最低限必要な能力ではないかと思いますが、それを仕方なしに取り組むか、前向きに取り組むかでは、モチベーションの量が変わると思います。これまでの道のりでは、大きな危機に直面したことが何度かありました。父の代の資産や家族の助けはありましたが、その都度自分なりに努力して乗り越えられたのは、この力のおかげだったのかも知れません。

現役で就業していたころは、楽しいよりどちらかというと辛さの記憶が多いと振り返っていますが、投じた努力が結果として見えやすく、やりがいがあったことは間違いありません。それは何より幸福だったと思っています。長い間寄り添い伴走してくれた妻にも感謝は大きく、やっと少しゆっくりして貰えることで、多少はお返しが出来るかとも思います。シンガーソングライター、イルカによると、人生をフルコースとすると、60歳以降はデザート世代と呼ぶのが良いとか。頑張ってきたご褒美の時間を、少しだけ楽しめればと願います。心身健康なうちに。

2025年8月 4日 (月)

尾瀬(35年ぶりに訪ねて)

直売の店を開いた30歳代前半。週一のお休みと、8月と1月の少しの休みという生活を長く続けてきたので、それまで足繁く通った遠くの山に向かう機会はほとんど無くなりましたが、今春店を閉じたのを機会に、チャレンジすることにしました。懐かしの尾瀬。時間が比較的自由に使え、体力が有り余っていた20歳代後半には、神奈川県から夜行日帰りで通っていました。ハイシーズンには、仕事の段取りを付け、天気予報の晴れを確認し、常備している山支度とカメラを担いで深夜ドライブ。夜中に、尾瀬ハイクの基点となる鳩待峠駐車場に着き、日の出時間まで仮眠を取って入山するということをよくやっていました。今回は、尾瀬ヶ原の小屋で一泊するという今の体力にあったゆっくりスケジュールで、久しぶりに楽しんできました。写真を何点か掲載したいと思います。

Photo夏の尾瀬といったらこんなイメージですね。普通のスナップですが、気に入っています。

Photo_2 夏の尾瀬はトンボ天国。平地が涼しくなるまで避暑に集まっています。人を恐れないので、撮影は楽です。気付くと、肩や帽子に留まっていることもよくあります。

Photo_3 青い空、白い雲、湿原と白樺そして、木道とハイカー。

Photo_4 高山植物の楽園。空の水色とユリのオレンジが見事なコントラストでした。

Photo_5 尾瀬夏の女王、ニッコウキスゲは盛りを過ぎていましたが、少しだけ咲いているところで至仏山を入れて。


以前と違って、自家用車は遠くに止めて、専用の送迎車で入山する必要があり、行動時間が少し制限されることが解りました。しかし、35年前とほとんど変わっていない尾瀬は、高齢者にもアプローチしやすく、来年の夏も是非行ってみたいと思わせてくれる魅力に溢れたままでした。


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2025年8月 1日 (金)

新作映画「スーパーマン」レビュー

スーパーマンの映画が好きだ。1930年代に誕生し、「正しさ」を体現する象徴として描かれ続けるヒーロー像には無条件に魅了される。何度もリーブートされてきたが、その都度劇場に足を運んでしまう。今回の新作も、公開翌日とその2週間後に二度鑑賞した。初期の実写映画は、まだ生まれていないので見ていないけど、最初に体験したのは1978年のクリストファー・リーブ版「Superman The Movie」。翌年日本公開されたときが大学一年生の夏、横須賀秋谷海岸での合宿地に向かう途中、乗換えの国鉄川崎駅東口の映画館で。アメリカでのヒット情報を見聞きして、絶対観たいと強くこころに誓っていた。前年に観た、スターウォーズの初作で、ハリウッドVFXの凄さを目の当たりにして、その期待度は膨れ上がるばかりだった。その映画作品は、大学入学したての無垢な18歳の青年(私のことだけど)には、最上級の驚きと感動を与えてくれたのであります。当時のキヤッチコピーは「あなたも空を翔べる!」。 偽りなく、劇場を出てくるときの私は右手のこぶしを突き上げ、道路を渡ろうとしたときに近づいてきた自動車を、手で押し戻したい衝動にかられる程だった。クリストファー・リーブは、その容姿と体格、役作りすべてがスーパーマンそのもので、おそらく同世代のファンが抱くスーパーマンのイメージは、彼のそれだろうと思う。

Superman_l_2最新のリブート版では、かつて演じたリーブから3代目になる新しいスーパーマン。春先に見た予告映像を見て、これまでと同じように「絶対見る!」と強く決意し、公開翌日の土曜日、新宿歌舞伎町の巨大シネコンで、いつも集う映画仲間と一緒に鑑賞。結果は・・「楽しい!楽しい!楽しい!!!」。エンドロールのあと拍手喝さいを差し上げました。(満員席の後ろのほうから、少しだけ追随してくれた人たちも。)

どこが楽しかったかこれから書くが、ネタバレを含むでこれから見ようと思っている人はお気をつけを。あるいは、スーパーマンがキライなひとは読まないように、あるいは、期待外れと思ったひとからの反撃には対処しませんのであらかじめご了承を。

新しいスーパーマンの外連味ないキャラクター。愚直に見えるほどひたすら「正しいことをする」という私たちが知っているヒーロー像は見ていて嬉しくなる。期待したとおりの描き方だ。象徴的なのは、物語の主な舞台大都市メトロポリスがディザスターに見舞われたとき、少女、夫人から小動物に至るまで、その能力、無限じゃなかろうかと思われるパワーと目にも留まらぬ素早さを駆使して次々救い続ける光景だ。劇場内は「お~!」というざわめきが聞こえた(気がする)。

スーパーヒーロー誕生のオリジンストーリーは、シリーズ化されるか否かに関わらず第一作目の冒頭で語られることが多いが、今作は数行のテロップで説明されるだけに過ぎない。何故って、スーパーマンの生い立ちとエピソード、ヒーローとして活躍するまでの課程はみんな知っているよね・・というのを前提にしている。これって意表を突かれたがかなり好感度大だ。そして最初のシークエンスは、スーパーマンが初めて負けて、南極の氷の要塞に逃げ帰るというところで始まる。雪原に落下し弱りまくって自力で戻れない彼は、口笛を吹き、赤いマントを纏った犬を喚び助けを請う。象徴的な場面だ。ヒーローストーリー定石は、1)その無敵の力を披露し敵を叩きのめす。2)その力を超える新たな敵や能力が現れて苦戦する。3)何らかの対処策を編み出したり得たりして逆転勝利する・・・だよね。1)を省いたところが、ジェームズ・ガン監督兼脚本の秀逸さだと思う。助けにくる愛犬クリプトを、飼い主にあまり忠実とは言えないややダメ犬にしている(そこがメチャかわいいんだけど)ところも、この映画の重要なキーだったことがやがて解る。

Photo_2物語誕生からずっと変わらぬ宿敵、悪の天才科学者レックス・ルーサー。今となっては、ヒーローストーリーに於けるスーパーヴィランが人間という設定が生み出されることは、ポリコレ前提の下で少なくなった感があるが、伝統的なお話に於いては敵役のキャラや動機づけを少し修正することで継続させているのかも。(バットマンなんかも同じ)70年代80年代には、あのジーン・ハックマンが、その後ケヴィン・スペイシーが、近作ではジェシー・アイゼンバーグがそれぞれ演じて、こんちくしょう感!を見事に醸していた。今回はニコラス・ホルト。近年大活躍だそうだが私はあまり認識してなくて、一度目を見終えたあと調べてひっくり返った。(2002年公開アバウト・ア・ボーイより)そのレックスについてのキャラクター設定をAIに問うたところ、なかなか納得できる答えが返ってきた。25年版。単純な悪役ではなく、独自の信念と歪んだ正義感 ●人類の可能性を阻害する存在としてのスーパーマンへの憎悪。●嫉妬と劣等感 ●「人間」という存在へのこだわり ハックマンやスペイシー版では、古典的な悪役 ●金銭欲と権力欲 ●知性へのプライド ●個人的なライバル意識 だと。双方比べてみると重なる部分もあるが、より深みを加えた人物像としてアップグレードしていると見たがどうだろう。その新しいレックスが作り出したポケット・ユニバースという概念も面白い。スーパーマンの驚異的なパワーはニュートン力学的凄さと思うが、それを封じ込めるのは高次元のテクノロジーが必要という設定に辿り着いたか。私の文系脳には到底理解できないが、量子重力理論とワームホールとか、ブレーンワールド理論とか、何しろ皆目イメージができそうにない理屈を映像にしてくれるというのは、SF(っぽい)作品の有りがたいところだ。異次元空間の中で繰り広げられる活劇には、私の拙い科学的知識に於いても、「ちょっと変!」と思われるところもあるが、そこはエンタメと割り切る。

愛犬(?)クリプトの存在を含め、今作の大事なコンセプトは、スーパーマンは孤独なヒーローではないというところか。いくら無限の力を持つスーパーマンとて、同じ時間に別の場所で起きる危機には対処できない。解決したのが別のヒーロー群。前作までのスナイダー版ジャスティス・リーグもヒーロー集団だが、今作ではかなり趣を変えて登場している。個性的で全くまとまっていない3人「ジャスティス・ギャング」。原作DCコミック愛読者にはおなじみかもしれないが、私には初見の地球人型ヒーロー達。主に活躍する頭脳派ミスター・テリフィックがカッコ良く、中盤からの活躍シーンは、その秀逸過ぎるカメラワークを筆頭に本作最大の見どころのひとつと感じた。スーパーマンと彼らの距離感も絶妙で、そこはかとないユーモアセンスが見て取れるところも好感度上げている。そして、スーパーマン大逆転の巻きとなる大活躍するクリプトも大切な「仲間」としてポジションしている訳だ。作り手の、大事なメッセージを感じる。もうひとつ重要な点は、レックス・ルーサーがこだわるスーパーマン=異星人という事実と彼が発見し復元した父ジョー・エルのメッセージだ。確かに超人としてのパワーは、クリプトン星人であることに由来するのだが、自身は、地球で育った「人間」としてのアイデンティティを持ち、感情や道徳心を発する姿に観客は強い共感を覚えるはずだ。そんなところを、主人公の口で語らせるのは通常映画的には稚拙でダサいとされるが、ことスーパーマンにはそう思わせないところが上手い。一方、ルーサーの手下エンジニアによって「復元」された父親からのメッセージは、これまでの常識を覆す衝撃的な内容なのだが、それを知ったスーパーマン=カル・エルが悩み葛藤し、自らの進むべき道を選ぶという要素が加わったことで、物語により深みが増しているのだ。


そしてそして、最もこころときめかせてくれたのが再び使われたジョン・ウィリアムズのテーマ。アレンジされたとは言え、あの印象的なフレーズを聞いたときの感動は、もう参りました~と無条件降伏状態。予告映像で「絶対見る!」決意のベースには、あのテーマを聞いたからというひとも多いのではないだろうか。鑑賞後、ネット動画で探してオリジナルを何度か聞いたのは言うまでも無い。市民とスーパーマンの一体感を描くシーンで、効果的に使われるのがエモく、ジーンとさせてくれる。映像に付く音楽は、鑑賞者との一体感や没入感を造り出す効果があるのは知られるところだが、今作ほど効果的なのは希かとも思う。願わくは、エンドロールのバックには、オリジナルに近い音源を使ってくれたら、最後の拍手がもっと多くなったのではなかろうかとも。

Superman • Main Theme • John Williams
YouTube: Superman • Main Theme • John Williams

他にも、過去作に比べ短めにさらりと描かれるケント一家の親子愛は、穏やかだけど強い。リーブ版にちょっと似ているキャスティング、ロイス・レイン。社会的には自立した女性そのものだが、強者の前には無力だったのが、今作は少し違う。ここにも時代の後押しが効いているか。新聞社での同僚オルセンとレックスの彼女でおバカなキャライヴの存在も重要なキーとして描き、ジェームズ・ガン監督が、「仲間」含む群像を調和を持って仕上げる名手である証拠を見た。

等々、等々、気に入ったところを挙げていくと切りがないが、心の中の永久保存版になること間違い無しとして長いレビューを終える。

25年 Superman 

2025年7月15日 (火)

イラストメッセージ印刷「ぷりんたぶるせんべい」

店舗閉店後も製作受付している、イラストメッセージ印刷「ぷりんたぶるせんべい」。閉店前と変わらず多くのご用命を頂戴しています。

2025_7_1
日本のヘビメタバンド、結成40周年記念のおせんべい。
JURASSIC JADE

Photo
流通企業さまのお中元でお使いいただきました。3種をセットにして、ご指定のお届け先に配送致しました。

黒船物流さま

25
毎年ご用命頂いている、東京私立学校のバザーでの販売。


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2025年6月21日 (土)

ブログ移行

おせんべい作りについて書いてきたgooブログがサービスを終了することになりました。長年親しんできたブログなので残念ですが、資産を残すため移行の作業を進めてきました。

当座併用して行くつもりですが、近々gooブログは更新を終了する予定です。

Goo

新しいブログはこちら

Photo


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2025年6月10日 (火)

Facebookのノート(note)を探して

このブログにもときどき下手な映画感想文を書き記したりしていますが、以前は、感想文専用の別ブログを書き、同じ内容をFacebookのノートという機能を使って、フレンドの皆さんに読んでもらっていたことがありました。ブログは、不特定多数の目に触れるチャンスがありますが、よっぽど力を入れないと読者を獲得することが難しく、且つ、誰が目にしてくれたかを知ることは難しいです。SNSであるFacebookは、同じ趣味の仲間も大勢いますし、リーチの分析や獲得した「いいね」の数で、反応が伝わりやすいので、やりがいにも繋がるのですね。10数年前には、感想文書きにも熱があり、資料を調べたり、自分なりの視点を盛り込もうとしたり、下手ながら時間を割いていろいろチャレンジしたものでした。しかし、だんだんと仕事に忙殺される時間が長くなり、映画を見ても長い文章を書くことがなくなり、ブログの更新は遠ざかり、同時にFacebookのノートに書き込むことも無くなりました。(現在フェイスブックで運用されているノートとは別物です)今回、訳あって、昔の感想文を読み直そうとしたところ、ブログは既に運用を止めていて、サポート期間は先月末で終了というタッチの差でチャンスを逃しました。それならFacebookのノートを探そう・・としましたが、こちらも既にメニューから無くなっていました。何年か前には割と簡単に過去ログを呼び出すことができたので、無くなることはないのだと高をくくっていましたが、今回アプローチしたら、簡単には見つからなくなっていることに気付きました。大変です。さあ、どうしよう・・「こういうときはネット検索だよ」ということで情報収集すると、最近の記事で、自分の投稿についてはログをデータとして呼び出すことが出来ることが解りました。ただ、SNSは頻繁に仕様が変わるので、ちょっと古い情報だと「今」にあ当てはまらないことが多く、今回もちょっと難儀しました。何とか辿り着くことができましたので、私と同じ悩みをお持ちの方への指標になればと、手順について記しておきたいと思います。ご参考にしていただけると幸いです。

1)右上プロフ写真をクリック 設定とプライバシー→設定 と進む

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2)必要な設定を見つける窓に「プロフィール情報をダウンロード」と入力

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3)個人データをダウンロード画面で、情報をダウンロードまたは転送を選択。

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4)次の画面で、フェイスブックを選択。どの程度の情報が必要ですか?と問われるので、「特定タイプの情報」を選ぶ。

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5)すべて見る→その他のアクティビティにチェック→次へ

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6)次画面で、「デバイスにダウンロード」を選ぶ。期間を聞かれるので、必要な設定をする。

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7)ファイル作成が始まるので、終了の知らせを待つ。

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8)ブラウザのダウンロード履歴より、zip形式のファイルをダウンロードして展開。一覧からノートを選ぶと、HTMLファイルをブラウザ等で閲覧できます。作成時のレイアウトは崩れていますが、テキストの内容は残っていました。やれやれ。

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9)こんな感じで、ずらっと閲覧できます。私の最後の更新は。2014年7月なので、10年以上経っていました。無くなって当然ですね~(汗)

Her


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2025年6月 1日 (日)

新しいカメラ

新しいカメラを買いました。手前左側のが OM SYSTEM OM-5。後ろのは今まで使っていたちょっと廉価なやつ。見かけはそんなに変わりませんが、旧型は「OLIMPUS」ブランド。新しいのは「OM SYSTEM」と変わりました。サイズもほぼ同じですが、テクノロジーは大分進歩しています。フィルターを使わずにND(減光)でき、スローシャッターが切れるの機能が楽しみ。いわゆる、ミラーレス一眼なので、頭に付いているペンタプリズムの三角は飾りだけ。本来なら不要なのでしょうが、昔の一眼(レフ)のフォルムに近い方が、ユーザー受けするのでしょう。カメラが新型になったとて、急に腕が上がる訳ではないですが、以前より撮影に行ける機会も増えそうなので、機材に負けぬよう精進したいです(^^)

Om5


2025年5月25日 (日)

木曽路

4月末日でお店を締め、納品先も限定的になりましたので、せんべいを作るペースが大分落ちて、自由に使える時間が増えてきました。好きな映画鑑賞の機会が増えたり、写真撮影に出かけるチャンスも増えてきそうです。

今回は、久しぶりに旧中山道、木曽の宿場を訪ねてみました。有名な馬籠宿と妻籠宿を結ぶ旧道。馬籠峠を越えるハイキング道を徒歩で散策。新緑の山路を堪能してきました。地元の観光情報によると、馬篭から妻籠に戻るほうが楽だとのことで、妻籠宿の駐車場にクルマを止めてバスで馬籠宿まで行き、歩くことにしました。約3時間のコースと案内されていましたが、途中で写真を撮りながらなので、プラス1時間、およそ4時間かけての行程となりました。昼過ぎに馬篭に着き、夕方妻籠に付くようなスケジュールを立てたので、昼間は賑わう宿場も17時過ぎにはほとんど人影が無く、静かな佇まいを見ることができ満足でした。峠道では、多くのハイカーと行き交いましたが、ほとんどが外国人。それもほぼ白人の方々。観光地で多く見られる中国系のアジア人は極少数でした。物販店が多く、新築された建物も多い馬篭には多くの日本人観光客がいましたので何となく、楽しみ方の違いを垣間見るようでした。

初めて訪れた東日本大震災の後で泊めて頂いた旅館「藤乙」さんは営業を終えられているようで、残念ながらお尋ねすることは叶いませんでした。前回のブログ記事

Photo馬籠峠を目指して歩き出し、程なく出会った爽やかな風景。新緑の楓が大好きです(^^)

Photo_2 峠越えの道に、何度か出くわす集落。放置された木車にも郷愁を覚えます。

Photo_3 峠道の中程にある休憩所。100年は経ったと思われる旧い建物には、外国からの旅人が大勢。山水を引いた木桶に落ちる波紋と、二十日大根の赤が鮮やかでした。

_1 馬籠峠の中程にある休憩所。今にも崩れそうな旧い農家の家。土間から続く広い板張りの部屋には囲炉裏も。

2

2_317時過ぎの宿場は人も少なく、まるで本当に江戸時代に戻ったようでした。


2025年5月23日 (金)

小劇場で2作 「Flow」「HERE」

昨日は小劇場で2本鑑賞しました。どちらも、今まで見たことの無い、チャレンジングな作りの作品で、見応えありました。

Flow2_3
一本目はアニメーション作品「Flow」。ファンタジックなロードムービー。作ったのは、ラトビアの気鋭監督。といっても、世界地図ですぐ指し示すことができるひとは少数でしょう。私も同じ。同じ国で作られた映画作品も見たことありません。ポスター中央の黒猫が主人公で、他に登場するのは数種の動物のみ。日本のアニメやディズニーアニメのようにひとの言葉を話したりしないので、全編セリフ無しです。設定説明もゼロ。だから、ずっと想像力を求められます。終始脳ミソフル回転なのであります。しかし、時間と共にと動物たちそれぞれのキャラクターが見えてくるのに気付きます。素晴しい描写力です。アニメをあまり見ないのでエラソーには語れないのですが、CGのビジュアルとしては、風景描写及び色づかい、光の使い方が大変美しい。そして、主役の猫の動きがスーパーリアルで、おそらく日常的に猫の生態に接していらっしゃる方なら、私よりもっと驚かれると思います。アメリカ製CGのように、毛並みまで再現している訳ではないですが、それは何のネガティブでもありません。物語は、大洪水のあと人間がいなくなった世界で、生き残るため旅立つ主人公猫と、道連れとなる数種の動物たちが遭遇する出来事を描くもの。意思を通わせられない違う種の動物たちが、運命を共にする旅路でどのように振る舞うのかが見どころです。ふと、ノアの方舟か、バベルの塔の物語がよぎりました。各国のアニメ映画賞を多く受賞しているのも納得。大人(だけ)が鑑賞を許されるアニメ作品としてオススメします。

「Flow」 原題Straume 2024年 ラトビア・フランス・ベルギー合作

Here_3
二本目はゼメキス監督とトム・ハンクスが組んだ。こちらもチャレンジングなファンタジック作品「HERE」。アメリカのある家のリビングルームに固定したカメラで、その場所(HERE)で起きた事柄を、恐竜が走り回る太古の昔、氷河期、植物の時代から哺乳類の時代。ネイティブアメリカンが支配した人間の時代、その後、移民に取って代られ、南北戦争直後に家が建ち、そこに住んだ様々な人との人生を、画面をコラージュするように、時間を行き来しながら多層的に描いてゆく不思議な作りでした。(説明が難しい)ある意味SFなのですが、それを感じさせない、幾世代にも渡る命のドラマであり、人生の様々な要素が織込まれた壮大なストーリーとでも表現しましょうか。メインキャストは、トム・ハンクスとロビン・ライトの夫婦なのですが、二人ともティーンエイジャーから老年代までを実際に演じていると言うから驚きです。テクノロジーのなせる技ですが、生半可な技術ではないのは容易に解ります。エンドシークエンスを見終えた後、どっと沸き起こる不思議な感情と共に、「あぁ、これもバック・トゥ・ザフューチャーか」という思いに至りました。そんな感想について、映画好きの人たちと意見を交えたいなぁと思わせてくれる作品です。

「HERE」2024年 アメリカ

あつぎのえいがかんkikiにて


2025年5月18日 (日)

動画配信の映画で大泣きする

7

有名な韓国映画を動画配信で観ました。「7番房の奇跡」。詳しい内容は入れずに見たので、主人公の父親が投獄されるあたりまでは、あざとい演技演出と受け入れがたい状況設定に、こりゃダメかな~と、ちょっと引いていたのですが、ストーリーが進むにつれて次第に入り込み、終盤、親娘二人だけの長いシークエンスでは、もう大泣きしてしまいました。これは反則だよね~。劇場で観てたらヤバかった(^^) ちなみに、最近は、映画やドラマを見て大いに泣くことを、「号泣」と称しますが、それは声を上げておいおい泣くことなので私は使わないようにしています。そんな人は映画館で見たこと無いしw。後で調べてみると、リメイクも何本か作られているようです。親子愛テーマは古今東西普遍なので、あらゆる国籍民族を超えて感動を呼ぶのでしょう。知的障害のあるパパ役の役者さん上手。育ての親の課長さん役渋い。娘役は愛らし過ぎ。大衆受けするテーマ及び作りと言ってしまえばそうかも知れないですが、映画とは、多くの客を楽しませるのを本質とするなら、王道なのなか~という感想でした。
 
「7番房の奇跡」 Miracle in Cell No. 7 2013年韓国

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