なんちゃって映画感想文 Feed

2008年8月31日 (日)

闇の子供たち

Yami とても重いテーマの作品です。真夏の陽光の下、夏休み真っ盛りの大都会のシネコンで見ましたが、お子様向け作品を見に来ている幸せそうな親子連れの人並みをかき分けながら、金属の固まりを飲んだような感覚での帰途になりました。

 途上国における闇社会、貧困からくる悲劇、前編を通した悲惨な描写は、かなり現実を反映しているとのこと。

  本作で描かれた白人や日本人の幼児買春客たちは、憎むべき現実が存在していることを告発し、私たちが知らない影の世界を暴いて白日にさらしてくれます。  大多数の普通の者は、この変態野郎達を蔑み、悲惨な子供達の現実に心を痛めることになるのです。 売春宿でエイズに感染し、捨てられた少女がやっとの思い で故郷までたどり着き家族の元に戻りますが、その末路は本作中最も悲惨なシーンとして忘れられません。

 そして平行して描かれるもう一つ のおぞましきテーマ、生きた子供の臓器売買については? 梶川の立場に自分が立たされたらと考えたとき、突然その重さが圧倒的な現実感を持って迫ってきま す。この夫婦の言葉に、どこかで共感している自分の心に恐怖と嫌悪を抱いてしまいます。手術を阻止しようとする者、事実を告発しようとする新聞記者、我が 子を救いたい親、三者三様の思いが交錯する梶川家のシーンは、象徴的で、とても考えさせられる演出だと思いました。

 エンディングのワンシーンについては、賛否が分かれると思いますが、残念ながら私は違和感を抱きました。 上映終了後、これについての客同士の会話から、ストーリーの結末を一部曲解しているニュアンスが聞き取れ、その感を強めました。

 また、状況設定にやや強引さが見られるところ、終盤のアクションシーンの挿入の仕方など、やや首を傾げたくなるところがあるのが残念な部分ではあります。少しマイナス点でしょう。

 豊原功補演ずる清水が異国と日本の距離感を縮め、リアリティを高める役柄として印象に残ります。そして、タイ人の重要な登場人物男女二人が、日本人に対してぶつける激しい嫌悪感は、強烈なパンチを私達に食らわせます。

サスペンスとしての結末も楽しめますし、最後まで釘付けられる質の高い社会派作品として高評価したいと思います。


109シネマズMM21にて

2008年8月 2日 (土)

告発のとき

Kokuhatsu唯一の超大国が抱える闇を静かに告発する・・。戦場で壊れてゆく若者達の見えざる事実。

イラクから帰還した息子マイクが失踪したことを知らされた、トミー・リー・ジョーンズ扮する元軍人警官の父親ハンクが、息子の所在を確かめに基地の ある町に向かう。無断離隊という不名誉な行いに釈然としない厳格な父は、軍警察の捜査に納得せず、シングルマザー女刑事エミリー(シャーリーズ・セロン) とともに独自に事実の調査を始める。そして、次第に明らかになる真実。

 2003年に起きた事実を元にポール・ハギスが監督、脚本を手がけた作品とのこと。 あまり多くの予備知識を持たずに望みましたので、行方不明の息子を 捜す謎解きミステリー的なテーマの作品と思っていましたが、それだけではありませんでした。 いい意味で裏切られました。

 マイクの死の真 相へ迫る過程で、彼が残した携帯電話の映像や声、戦友から知らされた「ドク」という愛称の由来などから、戦場イラクで何を見、体験し、心をどのように変化 させていったかが明らかになるにつれ、その闇の深さを父ハンクの目線を通して知ることになります。 軍人一家に生まれ育ち、正義感に溢れたよき青年が、戦 場の狂気により心を破壊されていく事実はあまりにショッキングで、言葉もありません。 退役軍人らしく投宿中も規律正しい日常生活スタイルを貫いていたハ ンクが、事件の事実に迫るにつれ、心なくも自堕落な態度に変わっていくのにも、抑制の効いた態度の裏に隠された心の変化が読み取れます。

 そして、更に暗鬱になるのは、マイクを惨殺した犯人のセリフ、「自分たちがマイクを殺したが、時と場所が違えば、自分が殺されていたかも・・」。 そして、父に謝罪をするその目に精気はなく、うっすらと笑みさえ浮かべる表情はまるで抜け殻のようです。 

  刑事エミリーの存在は、軍社会の外側からの目線、つまり普通の米国人の感覚で事件を捉え、別の意味でのアメリカ社会が抱える暗部を対比させているようで秀 逸だと思います。 その幼い息子にハンクが語る「ダビデとゴリアテ」の逸話が、本作の原題“エラの谷” の意味するところでもあります。

  このところ、米国の映画シーンはイラク戦争への反省ブームともいえ、この種の作品が多く作られています。 自由と正義と名の下、世界中に軍を送り続ける覇 権国家アメリカ。その国が、逆さ国旗を掲げなければならない事態に陥っているとしたら、それはいったい誰に向けてのメッセージでなのでしょうか? そし て、その混迷の出口は何処にあるのでしょうか?


at TOHOシネマズ ららぽーと横浜

2008年7月14日 (月)

「潜水服は蝶の夢を見る 」at名画座

Scaphandre_1_1a この不思議なタイトルからどんなイメージを抱かれますか?

 突然の脳障害で「ロックイン・シンドローム」(閉じ込め症候群)におかれた主人公の、実話にもとづく作品です。ただし、この症状、脳は正常に働いているのですが、身体が麻痺して動く事もしゃべる事もできません。 唯一のコミュニケーション手段、それは左目のまばたき・・という驚くべき状況で書かれた本が原作となっています。

 長い昏睡から目覚めた主人公「ジャン=ドー」の“目線”で物語は始まりますが、異様な光景が、彼の置かれた現実を次第に見るものに明らかにして行きます。 この特殊な状況の中、彼はサーポートしてくれる人々の助けにより、意外な方法でその意思を伝えることを試み始めます・・。

 人の尊厳を問うた格調高い感動作といった作品かに思えますが、意外ににそうではありませんでした。 前半は、言葉を発せないジャン=ドーの心の声と目線での映像で描かれますが、その言葉には、このような状況での心情とは思えぬユーモアが漂い、彼の人となりが推し量られます。 

 そして、まるで重たい潜水服を着せられ深い海の底に一人取り残されたような状況にあっても、「想像力と記憶で僕は、蝶が自由に舞うように、自分をどこにでも連れて行ける」思いを抱いた彼のイマジネーションが映像化されるシーンは、時に美しく、時にエロチックに、時に暖かく表現され、作り手の素晴らしいセンスを感じます。

 後半になって、カメラは"普通"のポジションに移り、ジャン=ドーの姿を初めて見ることになります。 大きく開かれてきょろきょろと良く動く左目、そして、それと対照的な無表情、病に倒れる前の人生を謳歌する元気な彼も。 前半の、どちらかと言えば観念的な映像から一変して、現実と過去との落差を直視させられます。 その哀れを誘う姿が、見る者の心を痛めることも確かにあります。 しかし、別れた元妻や子供達、息子の不幸を悲しむ年老いた父親、彼の"口述"を記録する女性編集者、メディカルスタッフ、そして現在の恋人など取り巻く人々との接点の描写が、彼の人間くさい普通の人ぶりをよく表していて、特別ではなく、身近に感じるのことができる作りになっているのです。

 身体の自由を奪われたジャン=ドーの服が、病人のそれとはまったく違い、いつもしゃれたいでたちなのにも、ココロをくすぐられます。

 美しい映像、そこはかとない愛と希望が漂う大人の鑑賞に堪える素敵な出来だと思います。

オマケ:フランスの充実した医療システムを目の当たりにし、マイケル・ムーアの「シッコ」を思い出しました(笑)


at 横浜ジャック&ベティ

2008年7月 3日 (木)

「●REC」

Rec

 P.O.V.(PointOfView)手法による、リアルパニックムービーとのこと。日本語では主観撮影と訳されるそうですが、現場に居た人が撮影した衝撃映像が映画そのものになっているというやつですね。

 「撮るのよ全部!」という主役リポーター役の言葉が最後まで繰り返されることで、その必然性を強調しているという訳です。 先の秋葉原事件の時 も、多くの人が現場に向けて携帯やら、デジカメやらを向けて撮影している風景を見たばかりなので、こんな作品が次々登場する時代的な背景が整ってきたとい うことでしょうか。

 作品中BGMはまったく使われていませんので、ビデオカメラの生中継を見ているような作りがリアルさを醸しだし、観客自信が、あたかも現場にいるような感覚で見ることになるわけです。また、視野が限られることで、見えないところへの恐怖心を煽っているのかもですね。

  P.O.V.撮影については、手持ちカメラの撮影者がTVクルーという設定なので、高速パーンがほとんど無く、ブレも少なかったので見ていて目を回したり、酔うこともなく助かりました。

  閉鎖空間、スプラッタ、オカルト的要素など、低予算と思われる中で、怖がらせ要素がいろいろ工夫されていて、中盤以降では「ぐー」に握った手にかなり力が 入ってしまい、しっかり怖かったです(汗) 特にクライマックスの「開かずの間」の中で繰り広げられる、謎解きに迫るおぞましきシーンは、心臓のヨワい方 は遠慮されたほうがいいかもと忠告差し上げたい出来映えです。

  終盤の落としどころに向け、都合のよい状況設定や、展開に無理があるなとツッコミたくなるところもありますが、そのあたりはホラーを楽しむにはそこそこ目をつぶるべきかと・・。 

 余談1:見終わった後明るくなった場内で、私の近くにいたカップルの会話。女性「もっと怖いかと思った。」青ざめた男性「・・・。」

 余談2:作品に邦人らしき登場人物がいて、「私がしゃべってるんだから~!!」みたいな言葉を日本語で叫ぶシーンに苦笑。


atTOHOシネマズららぽーと横浜

2008年6月19日 (木)

「アフタースクール」

分かっていながらはめられる快感に酔う。そして反芻する楽しさ。一粒で2度オイシイ上質エンタテインメントAfterschool

 このところの映画レビューで、満足度1位をキープしている作品でしたので、期待を持って観に行きました。 果たしてその期待に違わず、上質エンタテインメントとして十分楽しめました。 

 面白さの決めては、緻密に練られ構成された脚本によるところが大きいと思います。 その監督・脚本は内田けんじ、前作「運命じゃない人」が話題になった監督です。 そういうわけで内容に触れるとオイシイところを暴露してしまうので、もし、これからご覧になろうという方がいらしたら申し訳ありませんから、極力触れずにおきたいと思いますが・・。

 主役は、大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人、人気の3人ですが、その他ストーリーの展開に関わる重要な配役が何人かいます。 前半1/3くらいまでに見る映像から、登場人物それぞれに対する、断片的情報や思いこみによって人の目がどれだけ惑わされているのかというあたりをスルドく突かれ、刷り込まれの度合いが強いほど、作り手のテクニックに、よりきれいにハメられることになります。起承転転結という構成とでもいえるでしょうか。

 裏街道を歩く探偵家業の男(佐々木)と、マジメなお人好し中学教師(大泉)の最後の会話、それによって二人に対する、それまでの先入観、評価がひっくり返されるのも快感でした。 こんな世の中だけど、捨てたもんじゃないよ・・という作り手のメッセージが聞こえてきそうです。

 見終えてすぐに記憶の糸を手繰り、ネタ振りとオチとの関係を一つ一つ振り返ってみる楽しさも、この作品のもう一つの醍醐味かもしれません。同行者とのお茶タイムが充実しそうです。

 全体のテンポが良く、コミカル、シリアスがほどよくバランスされているあたりも好感が持てます。 ぜひご覧になり、騙される快感に酔ってみてください。


at 立川CINAMATWO

2008年6月 2日 (月)

「ミスト」

Mist_1_1b やりきれなさの極み、上映終了後しばらく無口になってしまいます。

 いろいろなレビューで、とても高い評価をされる方が多いので、どうしても見ておかねばと思っていました。 原作スティーヴン・キング 監督フランク・ダラボンとくれば左のチラシにもでかでか書かれているように、あの2作のコンビですから。 

 キングの映画化は過去にとても多く、なかには「え"!そりゃないでしょ?!」と、激しく突っ込みたくなるものもあったので、油断はならないのですが、ダラボン監督が手がけた本ならと、それなりの期待を持って望みました。

 ミスト=霧 英語にはFogという単語もあるので、ネイティヴの方にはそのニュアンスの違いがわかるのかも知れません。

 霧の中から現れる異形の怪物達。 昆虫型、は虫類型、両生類型、節足動物型、そしてゴブリンのようなものまで、およそ人が気味悪いと思うタイプの生き物が次から次へと襲ってくる中盤まで、もうほとんど全身総チキンスキン状態が続きます。なかでも最高グロで勘弁して欲しかったのは、餌食になった人間の皮膚がボコボコっと膨らみ、そこから蜘蛛みたいなやつが皮膚を破りうじゃうじゃ出て来てその直後(蜘蛛の子を散らすように)ざわざわっと散らばっていったシーンです。ウェ~。( 擬音ばかりでスミマセンm(_ _)m )

 しかし、本当に怖く、総毛立つのはその後でした。 こぢんまりしたスーパーに閉じこめられた密室状態で怪物達の総攻撃を受け、だんだん追い詰められゆく人々が、イカれた宗教オバサンの言葉に感化され始めます。 

 モンスターが霧と共にこの地に現れた理由が中盤に明かされるのですが、これを知ったオバサンとその同調者達が「これは傲慢な人間の行いが、神の怒りにふれたからだ! この事態を招いたものを生贄に捧げよ!」と騒ぎ、事実を話した若き兵士を怪物の餌食にしてしまいます。めちゃオソロシーです。そして次なる生贄は・・。

 次第に疑心暗鬼に陥り、やがて本性と敵意をあらわし始める人々、それを煽る狂信的な指導者。 少数派になってしまい、その怒りの矛先を向けられたまともな人たちは、その恐怖からいかに逃れるのか? 

 そして、問題のエンディングです。 賛否両論、様々の物議を醸し出したといわれる15分間は、想定を遙かに超える結末で、見る者の心は、ひたすらやりきれなさに満たされます。 これからご覧になろうという方は、ダメージをうけた心で望まれるのはお控え下さいと警告したくなるほどです。 最後の主人公の叫びが、見る者の胸にぐさっと突き刺さります。

 とても、よくできた素晴らしい作品と思いますが、二度とこのエンディングは見たくありません。


at TOHOシネマズ海老名

2008年5月24日 (土)

「マンデラの名もなき看守」

Photo 南アフリカ共和国初の黒人大統領"ネルソン・マンデラ"20余年の収監の間、専属看守となった男の実話。 なかなか味わいのあるヒューマンドラマです。原題は「GOODBYE BAFANA」。意味は、作品を最後まで観ると解ります。

 その生い立ちから、コーサ語(南アの黒人が話す言葉)が理解できることで、政治犯マンデラ一派の言動を監視するための専属看守となったグレゴリー(ジョセフ・ファインズ)は、それまでのうだつの上がらない暮らしから出世への足がかりを得たと思い、家族と共に移り住んだロベン島の刑務所で、使命感に燃え、収監者達の企てを見抜き、手柄を重ねて行きます。 しかし、マンデラと接することで、彼の人間性、思想に次第に傾倒していき、自身と家族の立場と仕事、マンデラ(デニス・ヘイスバート)への共鳴との板挟みに苦しむことになります。

 実話が元になっているので、ネルソン・マンデラがその後どのような道を歩んだか、悪名高きアパルトヘイト政策がどうなったかは周知の事ですが、本人の伝記ではなく、相反する思想を持った平凡な人間が感化され、変化していく様を描くことで、間接的に彼の偉大さを語るという手法が秀逸だと思いました。

 ストーリー中、グレゴリーが閲覧禁止文書として保管されている「自由憲章」を盗み出すシーンや、胸ポケットに忍ばせているシーンなどはちょっとしたサスペンス仕立てで、面白いアクセントになっています。 また、奇しくも、囚人と看守が共に息子を失うという悲劇で結びつくのですが、どちらも交通事故死という直接原因の裏に何かあるようなニュアンスが漂うあたりに同国の影の部分がちらついて、薄寒くなってしまいました。

 主な登場人物、マンデラ、グレゴリー、その妻役の3人が、見事な演技で作品の味わいとリアリティを深めています。 オススメです。

at 立川 CINEMA CITY


 <オマケ> 

 80年代半ば、英米のポップスターがアフリカの飢餓救済チャリティーで楽曲を発表していた頃、「SUNCITY」という同じようなレコードも世に出ました。 日本では前者ほど大きな話題にはなりませんでしたが、こちらは南アのアパルトヘイト政策に反対するミュージシャン達の共同製作作品でした。以下、YouTubeから、そのビデオ・クリップです。

 この映画をきっかけに、アパルトヘイトのことを少し調べ直してみましたが、その終焉には、東西冷戦終結による国際情勢の変化が多分にあったらしく、単に人道的な必然だけでは無いようで、寂しい思いがしますが、冷たい現実とはそんなものかもしれません。 少なくとも、これから同じような差別が復活することだけは無いよう願うばかりです。

2008年5月 7日 (水)

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」

Therewillbebloodアカデミー主演男優賞ダニエル・デイ=ルイスが演じた主人公は噂どおり凄かった。

 後味の悪い映画です・・などと書き始めると誤解されるかもしれませんが、主人公「ダニエル・プレインヴュー」の半生を延々と綴るこの長い作品を見終えて爽快な気分になれる方は、相当屈折した人生を送っていらっしゃるとしか思えません(笑)・・・ が、2時間半以上、最後までスクリーンに釘付けになりました。 

 100年前のアメリカ、一攫千金を望み、金の採掘から石油堀へと転身し、己の欲望と野心のためには非道もいとわない男の半生に共感を持つことは、現代の日本で普通の社会生活を営むヒトビトにはかなり難しいでしょうから、初め観客はかなり距離を置いて見ざるを得ないと思います。眉間にシワを寄せながら・・。 しかし、彼の生き様に象徴される強欲や人間不信などは、ほぼすべての人が持つ影の部分でもあるので、結局はどこかで受け入れざるを得ないのかも知れません。

 ストーリーの前半では、まだ人間味を見せるときもあるダニエルですが、天敵とも見て取れるカルト的な宣教師イーライ・サンデー(ポール・ダノ)との確執も相まって、中盤以降の欲にまみれたいやらしさぶりには参ります。いやはやすごいとしか形容しようがありません。「ギャング・オブ・ニューヨーク」での悪党ぶりも見事でしたが、更に凄味を増しているようです。

 "There will be blood" とは、"そこに血があるでしょう"=・・みたいな訳になるのでしょうか? 血とは勿論血縁の意味もあるでしょうし、あるいは現代文明の血液「油」の意もあるのかもしれません。 血の繋がりのない息子H.W.、途中で現れるダニエルの弟になりすました男、彼らへ扱いからもタイトルの裏側が透けて見えるようです。

 舞台はほとんどがアメリカの荒野で、乾いた岩と砂ばかりの風景にもかかわらず、映像はとても美しくつくられています。上のチラシの背景にもある、油井が炎を上げて夕暮れの空を焦がすがごとく燃えさかるシーンなどは、その真骨頂です。 また、全編に流れる呪術的な響きを持ち、不安をかき立てるような音楽も、作品テーマととてもマッチしていますのでこちらも注目です。

 最終盤は、財をなしたダニエルの邸宅内での出来事で締めくくられますが、エンディングのために用意された豪奢で洗練された美しい舞台と、最後の恐怖との対比がお見事です。

あ~胸くそ悪いが、すごい映画だ。


at 立川 CINEMA CITY

2008年4月26日 (土)

「つぐない」

Tsugunaiラヴ・ストーリーの名作か?オヤジも涙する悲恋物語。

 あちこちで高い評価を受けている作品でしたので、普段あまり触手の伸びない恋愛物語ですが見てきました。 大正解でした!

 基本のプロットは、深く愛し合う若き男女のかなわぬ悲恋物語なのですが、本が良くできているので全体の構成がとても骨太、そして、演出も極上です。


 第二次世界大戦前夜、舞台は夏の英国、物語好きの少女13歳のブライオニー(シアーシャ・ローナン)がたたくタイプライターのキー音に乗せた上品なBGとともに幕が開き、上流の暮らしぶりが披露されるかたちで、登場人物像などが描かれます。この冒頭は、お堅い文芸作品のニオイが強くて、ちょっと失敗だったかな?と思っていましたが、さにあらず、展開はどんどん深まっていきます。

 大学を卒業したばかりの美しい姉セシーリア=スー(キーラ・ナイトレイ)と、使用人の息子で一緒に育ったロビー(ジェームズ・マカヴォイ) は、身分を超え惹かれあっています。若い二人が次第に近づいていく様を、幼い妹ブライオニーが垣間見ることで、多感な少女がほのかに恋心を抱いていたロビーへの複雑な思いからくる思いこみと嘘により、悲劇へとつながっていきます。

 スーとロビーがぎこちなく、次第に深く近づいていく様子を、初めに妹の視線から描き、その後時間を戻し視点を変え、真実が描かれるという手法で、大人の世界と子供の価値観の差をうまく表現する演出が素晴らしいと思います。 二人のラヴシーンはエロチックですが非常に上品で、センスの良さを感じました。

 妹の証言によって濡れ衣を着せられ、罪人となったロビーは牢から出る代償として兵士になり、戦争が勃発したフランス戦線に送られ、姉スーは家を出てロンドンで看護婦として働いています。  戦時中ロンドン、二人のつかの間の再会シーンも美しく涙を誘います。 そして、二人への仕打ちの罪の重さに気づいた妹も、看護学生となって、負傷した兵士のいる病院で手伝いをしながら、相変わらず物語を書いていますが、さらっと語られるこのシーンに、後への複線も張られています。

 その後息をのむ映像が登場します。 敗走したイギリス軍が、ダンケルク海岸に集結し、「ダイナモ作戦」と名付けられた撤退を待つシーンですが、命からがらここにたどり着いたロビーと仲間2人が、丘の上から数十万人の人並みを見下ろし、「聖書みたいだ・・」とつぶやきますが、まさにスペクタクルな光景です。そこから数分間続く長回しの映像では、軍馬を射殺し、装甲車を破壊し、海を隔てた祖国に向きながら合唱する傷ついた兵士達など退却軍の現実が曇天のほの暗い色の映像で次々と描かれます。すごい! このあたりの映像作りが、単なる恋愛物語以上の深みを与えているのではと思います。

 そして、驚きのエンディング。 タイトルとなっている「つぐない」の意味と、それまで描かれてきたストーリーの重みにあらためて気づかされることになります。 作家となった老齢のブライオニーが語る言葉から、前半の悲劇に至るまでの演出法や、つかの間の逢瀬を過ごす二人への描写の必然にも納得がいきます。 

 是非ご覧になり、深い感動と余韻を味わってください。若き才能ジョー・ライト監督の力量が光る、素晴らしい作品、オススメです。


at TOHOシネマズららぽーと横浜

2008年4月19日 (土)

「The FEAST」

Feast_1_1b  B級ホラーのエッセンスを思いっきり詰め込み!驚愕?展開のスプラッター。

劇場ではあまり観ないB級ホラーを鑑賞してきました。かのマット・デイモンとベン・アフレックコンビ主催の新人発掘脚本コンテスト「プロジェクト・グリーンライト」から誕生した作品だそうです。

 90分に満たない短い作品でしたが、かなり楽しめました。当然グロあり、お色気あり、おバカネタありのこれぞB級というお手本のような出来だというのが総括(笑)です。 少し前に上映された、タランティーノとロドリゲスの企画モノ「プラネット・テラー」「デス・プルーフ」に勝るとも劣らないバカバカしさでお腹いっぱいになります。米国の"グラインドハウス"で観たら、大爆笑と指笛ヒューヒューの渦に巻き込まれるのではないかと想像してしまいました。

←オソロシげな姿が描かれたチラシ。果たして・・?

 冒頭、登場人物のキャラをシリアスなストップモーションで順に紹介していくのですが、その説明テロップにそいつらの寿命が書かれているのにいきなり笑わされます。英語力に乏しいので、字幕の説明を読むのですが、原文を理解できたらもっと笑えたかもしれません。 しかし十数人の登場人物のキャラとポジションを覚えるのは辛いな~と思っていると、いきなり数人がモンスターに食われてしまうので、全く心配無用でした。やられた(笑)

 普通のホラーでは餌食にならないとされているキャラクターが次々やられたり、次はこいつが死にそうだという所謂フラグの立ったやつが以外とがんばったりと、定説を覆す展開は痛快です。 一番可笑しいのが、でかくてヌメヌメでグロ、凶暴モンスターが、殺された我が子の代りを生み出すために"繁殖のための愛の行為"をしてしまうシーンです。(どひゃ~!!)  

 他にも、今流行り言葉でいうところの「ありえない!」展開の連続で、「既存のホラー映画に似てないものを作った」というふれ込みも、まんざら大袈裟でないかなと思います。

 当然、大多数のみなさんに受けるタイプの作品ではないのですが、映画のひとつの醍醐味を味あわせてくれますから、洒落のわかる方よろしければ・・というところですね。 

 念のため申し添えておきますが、ホラー映画なので、それなりに怖く、ドキドキします。コメディの笑いではありませんからお間違いなく。

 FEASTの意味を知らなくて後から調べたのですが、祝宴、 ごちそう、 楽しみという意味らしいです。なるほど・・!


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